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popress【Interactive】若い読者モニターの声を受けたニュース解説
 

バク・トゥ・ザ・ティーチャー 文化編 画家 竹久夢二に触れる

七尾市、ツヨシさん(仮名)/年齢:33歳/職業:デザイナー/趣味:音楽鑑賞、美術館めぐり/一言:好きな画家は、紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)で有名な江戸時代の尾形光琳。夢二は、美人画以外でも生活デザイン画などが好き。

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 北陸の文豪や哲学者を紹介してきた「バク・トゥ・ザ・ティーチャー」文化編。ラストとなる3回目は、金沢とのゆかりも深い画家の竹久夢二を特集する。代名詞の美人画と、女性遍歴でも知られる夢二。一方で、幼い子どもをテーマにした絵を熱心に描くなど、知られざる一面も併せ持っていた。

描き続けた恋心

子ども好きの顔も

ツヨシ:竹久夢二といえばやっぱり美人画ですよね。

ばく先生:大きく潤んだ瞳、憂いを帯びた表情、あでやかな着物姿−。独特のタッチで描かれた女性の絵は「夢二式美人画」と称され、大正ロマンを代表する画家に挙げられるよ。恋多き人としても有名で、交際していた女性をモデルに描くことが多かったようだ。

 生涯で結婚した女性は一人だけだったけれど、ほかに何人もの女性と付き合った。中でも関係が深かった女性は、妻を含めた三人といわれている。彼女たちは絵のモデルを務めただけでなく、夢二の人生観にも大きな影響を与えたんだ。女性の存在を抜きにして、夢二は語れないと言っても過言じゃないね。

【左】乙女二態・元禄美人【右】乙女二態・今様美人

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 ずいぶんモテたんですね。うらやましい。

 夢二はもの静かな性格で、大人数の前で話すのは苦手だったらしい。相手と一対一の場合でも、静かにゆっくりしゃべる人だった。女性は時間をかけて話に耳を傾けるうち、知らず知らずに好意を抱くパターンが少なくなかったとか。

 じゃあ、女性を描くのも楽しかったんじゃないですか。

 ところが、必ずしもそうではなさそうなんだ。「美人画は金を稼ぐために描いていた」という趣旨の日記が残っている。むしろ思い入れが強かったのは、幼い子ども向けの作品じゃないかな。愛らしい子どもの姿を描いた水彩画をはじめ、童話の挿絵、童謡の楽譜デザインなども精力的に手掛けていた。

 「子ども絵」に力を注いだのは、男手一つで育てた次男の不二彦の存在が大きい。夢二は不二彦を旅にも連れて行き、その姿をよく描いていた。叙情的な美人画とは違い、幼子を見守る温かいまなざしを感じ取ることができるよ。

夢二が手掛けた子ども絵や千代紙

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 子ども好きのお父さんだったんだね。ところで、夢二は金沢とどんな縁があるんですか。

 拠点としていたのは東京だったけれど、創作への刺激を求めて各地を旅していたんだ。金沢も二十七歳と三十四歳の時に訪れた記録が残っている。特に湯涌温泉は恋人の笠井彦乃と三週間にわたって滞在するなど、ゆかりの深い場所になっているよ。

 夢二をテーマにした美術館は、生誕地の岡山だけでなく、金沢や群馬、東京など全国に点在している。旅の先々で印象的な作品を残し、各地で高い人気を博していたことを物語っているね。

破局悔やみ教会でざんげ

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 女性関係の話題に事欠かなかった夢二だが、自らの女癖の悪さを悩んでいた節がある。繊細な心の持ち主で、多くの女性を傷つけた一方、破局の後は深く悔やんでいたようだ。

 三十代のころには、京都の教会で罪をざんげしたというエピソードも残っている。洗礼は受けていないが、常に聖書を手放さず、気に入った文章に線を引くなど、心のよりどころにしていたという。

 華やかな美人画と違い、自画像は一人寂しくたたずむ姿を描いた夢二。多くの女性と付き合いながら、決して満たされなかった孤独な人生を象徴しているようにも見える。

 【取材協力、写真提供】金沢湯涌夢二館(金沢市) 太田昌子館長

 【参考文献】金沢湯涌夢二館「開館記念展 全仕事・竹久夢二の世界−美人画から生活デザインまで−」、関谷定夫「竹久夢二−精神の遍歴」(東洋書林)

 担当・福本英司

 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ、1884年〜1934年)

 本名:竹久茂次郎(もじろう)

 出身地:岡山県本庄村(現在の瀬戸内市)

 作品:絵画や本の挿絵だけでなく、絵本や生活雑貨のデザインも手掛けた。代表作は美人画「黒船屋」や「湯の街」、絵と詩の「宵待草」など。

 家族:妻・たまきとの間に長男虹之助、次男不二彦、三男草一がいる。たまきとは離婚し、草一は別の家庭の養子にした。虹之助は夢二の親元に預けたが、その後引き取った。不二彦とは晩年まで生活をともにした。

関係の深かった女性たち

【岸たまき】

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【岸たまき】1882(明治15)年、金沢市で士族の家に生まれる。17歳で日本画家と結婚したが死別。その後、兄を頼って東京で絵はがき店を開き、夢二と出会って結婚した。夢二の2歳年上で、最初の美人画モデルとされる。現実的な考えの持ち主で、夢想家の夢二とは人生観が合わず、結婚2年後に離婚している。

【笠井彦乃】

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【笠井彦乃】1896(明治29)年、山梨県生まれ。一家で上京後、父が東京・日本橋で開いた紙商の家庭で育つ。日本橋で雑貨店を構えていた夢二と恋に落ちるが、親の反対で結婚できないまま、25歳で病死した。彦乃に先立たれた夢二の落胆は大きく、「自分も死んでしまった」と考えていたという。

【お葉】

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【お葉】1904(明治37)年、秋田県生まれ。少女時代から絵画のモデルとして人気があり、1919(大正8)年に夢二のモデルになる。間もなく20歳年上の夢二と交際を始めるが、自殺を図るなどして6年後に別れた。彦乃を忘れられない夢二に悩んでいたという。金沢には静養などで二度訪れている。

 

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