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popress【Human Recipe】あの人はどうやって「今」にたどり着いたか
 

風を感じて 前へ レーシングドライバー 中山友貴

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 国内最大の観客動員数を誇る自動車レースシリーズ「SUPER(スーパー) GT(ジィーティー)」。改造した市販車を用い、最高時速は300キロにも迫る。国内外のメーカーが威信を懸けて戦うこの舞台で、金沢市出身のレーシングドライバー中山友貴(25)は2009年から参戦し、着実に順位を上げてきた。期待の若手が目指すのは「速く、そしてチーム一体となって勝つこと」−。

自分を追い込む

−結果が重要

 3年前から「SUPER GT」に挑戦しています。元F1ドライバーの中嶋悟さんが総監督を務めるエプソン・ナカジマレーシングに所属。今季第3戦で初めて予選首位になりましたが、肝心の決勝レースでは優勝できていないので、まだまだです。

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 レースは土日開催で、車に乗って練習できる時間は数時間に限られます。ほとんどの時間を車の調整や、エンジニアらチームスタッフとのコミュニケーションに費やしていますね。

 トレーニングは、心拍数が1分間に160〜170という状態でも集中できるように走り込んだり、バランス感覚を鍛えるためのボールに乗ったり。2年前からはロードバイクも始めました。長時間自分を追い込んでいって、乗り越えた時に精神的に強くなれるんです。すべては、レースで最大限の力を発揮できるために。

勝つ喜び覚えて

−始めたきっかけ

 小さいころから、車に乗るのが好きでした。10歳の時、家にたまたまあった車雑誌に福井県坂井市のサーキットでレーシングカートに乗れると書いてあって。父に連れて行ってもらったのが最初です。

 単純にスピード感やスリルが楽しかった。速い速度で走ると、風圧を感じることができて気持ちいい。12歳の時にレースに出るようになって、最初はうまく走れなくて怖かったし、悔しくて泣いていたこともあったけれど、勝てるとうれしかったですね。次第に親やチームのみんなと一緒に喜べることが楽しみに変わっていきました。

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−十分でない環境

 中学、高校とレースを続けていましたが、北陸はサーキットも少ないし、当時は周りに興味を持つ人も少なかったですよ。仲のいい友人が遊ぶ姿がうらやましくて、気持ちが揺らいだこともありました。でも、自分の進路を考えた時、レースを真剣にやっていきたいと決めたんです。

 僕自身は、環境が悪いとか、近くにレーサーがいないということをあまり意識していません。経済的に両親には負担をかけましたが、直接何か言われることもなかった。学校側も配慮してくれたし、いろんな人に恵まれてここまでこれたと感謝しています。

チームと一体に

−成長の転機

 高校在学中に鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS−F)に入りました。最初はサーキットで、全コーナーから飛び出したんじゃないかというぐらいコースアウトしましたね(笑)。

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 卒業して06年には自動車レースの一つ、FCJシリーズに参戦。翌年は全日本F3選手権にクラスを上げました。そのころは自分は速いと思っていて、行けるところまで行けるって考えていた。

 転機は08年、車について勉強した時かな。そのころの僕は言葉を知らず、抽象的な表現しかできなくて車のセッティングを変えてもらいたくても監督に伝わらなかった。自動車工学の解説本を何度も読み返し、状態を細かく説明できるように努力しました。この時学んだことが今、自分の基礎になっています。

−憧れの存在

 レースを始めたころはもうアイルトン・セナはいなくて、ミハエル・シューマッハーがずっと勝っている時代。シューマッハーは「速い」以上に、チームなど周りの環境をプラスにできるところに魅力を感じます。そういう人間を目指して、僕ももっと上に行きたい。 (敬称略)

 聞き手・写真 平野皓士朗

 なかやま・ゆうき 1987年、金沢市生まれ。小学生からカートを始め、17歳で出場したアジアパシフィックカート選手権で2位に入り注目を集めた。遊学館高校(金沢市)から鈴鹿サーキットレーシングスクール(三重県鈴鹿市)に入り、2005年に首席卒業。ドライバーとして自動車レースシリーズのFCJ、全日本F3選手権を経て09年からSUPER GTに参戦。今季は国内最高峰のフォーミュラニッポンにもスポット参戦を果たした。

 ※次回は29日付Spot&Place。金沢の西洋建築を巡ってきました。

 

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