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popress【Human Recipe】あの人はどうやって「今」にたどり着いたか
 

バイクと一体 世界で舞う プロBMXライダー 宇野陽介

BMXを巧みに操ってトリックを決める=JR小松駅前で

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 自転車競技・BMXの中で、技の完成度や表現の独創性を追い求めることに特化した種目がある。舗装された平面上で回転(スピン)を中心としたパフォーマンスを繰り広げる「フラットランド」。石川県小松市のプロライダー・宇野陽介(36)=ニックネーム・YORK UNO=は国内の草分け的存在として、本場アメリカの大会で実績を重ねてきた。海外で一時代を築いた先駆者は今、日本にBMX文化を根付かせるべく、培ってきた技を後進に伝えている。(聞き手・佐藤航)

本場の技、熱狂伝えたい

−まずはBMXとの出会いを教えてください。

 小学生くらいの時、テレビでBMXの大会を見たんです。自転車で空を跳んでいるのがすごく印象的でした。高校ではマウンテンバイクのレースに出ていたんですけど、やっぱり跳んでいるイメージが強くて。3年からBMXを始めました。

 当時は県内の大会がまったくなくて、大阪や名古屋まで足を延ばしていましたね。地元とは全然レベルが違うんです。最初はとても追いつけないと思ったけど、何回もトライするうちに順位が上がってきた。「次はもっと上を」という思いが、練習のモチベーションになっていました。

BMXスクールで地元の子どもと触れ合う=JR小松駅前で

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−国外に目を向けるようになったのはいつごろから?

 地元の専門学校を出て、大阪にあるBMXの輸入販売会社に入りました。入社してすぐ、会社がオリジナルブランドを立ち上げることになって。自分がメーンで企画開発を任されて、(製造を委託する)台湾の工場にも出入りするようになったんです。「こう乗るから、こんな感じで作ってくれ」というふうに、ライダーとしての声を伝えていました。

 当時、BMXといえば海外製がメーンで、国内ブランドは皆無に等しかった。海外の自転車は向こうのサイジングになっていて、日本人には大きすぎるんですよ。体の小さい日本人が世界で通用するには、まず体格に合った道具を作らなければいけないと考えるようになりました。

−そんな思いが、アメリカでの挑戦につながったんですか。

 ブランドでやってきたことを、ライダーとして試したくなったんです。会社を辞めて、23歳の夏から3カ月間、全米の大会を転戦しました。まずはシアトルの自転車販売店でバイトをして、その後は東から西まで回ってひたすら大会に出続けました。

 最初は予選落ちを食らいまくって、全く通用しないと思いましたね。技術もそうなんだけど、感覚の違いがあるんですよ。どんなスタイルが格好良くて評価されるのか、文化が違うから見えにくい。当時、日本人の評価は本当に低かったし、向こうのまねをしているだけではダメだった。

 結局、自分で技を考えて見せないと見向きもされないんです。技と技の間のつなぎ方も含めて、人と違うというのが結果につながっていく。だんだんそれが分かってきて、アメリカ転戦の最後の大会で、日本人として初めて(米国内大会の)プロクラスで優勝することができた。

−次の舞台として選んだのが、BMXなどエクストリームスポーツの五輪ともいわれる「Xゲーム」でした。

ブランドがリリースするパーツの数々=石川県小松市の「A−branch」で

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 帰国後、仲間と一緒に「ARESBYKES(アーレスバイク)」というブランドを立ち上げました。それから自分たちの自転車でXゲームに出る、というのが目標になって。本戦は世界中の予選を勝ち抜いた20人しか出られなくて、当時はアジア勢なんてほとんどいなかった。自分は2000年に初めて出て、そこから4大会連続で出場しました。

 Xゲームって、アメリカではすごく人気がある大会なんです。他のプロスポーツと同じくらい視聴率があって、選手が泊まっているホテルに追っ掛けが来るくらい。もちろんBMXライダーの社会的地位も高い。向こうは子どもが乗る自転車といえばBMXだから、文化として認められているんですよ。

−まだ日本では、そこまでの環境にはなっていませんね。

 日本にBMXが入ってきたのが90年代。フラットランドの競技人口は数えるほどだったのが、今や世界で最も選手層の厚い国になっています。10年ほど前から地元でスクールを開いているんですが、近ごろは小学校前の小さい子も来るようになった。ただ、まだライダーの地位は高くないし、一般的な認知度は低いのも確かです。

 でもフラットランドは過激な要素が少ないから、日本人にも受け入れられやすい競技だと思うんですよ。それに平らな地面さえあれば、どこだって表現できる。自分たちの技術を次の世代に伝えていくことで、スポーツや文化として根付いていくと思っています。

人生のSpice

 【ブランド「ARESBYKES」】 「どの店に行っても海外製のBMXしかない」という状況を変えたくて、このブランドを立ち上げました。今では全国のショップに置いてもらえるようになりましたね。近ごろはBMXだけじゃなく、街乗りのバイクもリリースしました。直営店「A−branch」(石川県小松市八日市町52の4)でも扱っていますよ。

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 うの・ようすけ 1975年、金沢市生まれ。高校3年からBMXを始め、98年の夏から3カ月にわたって全米各地を転戦。同年秋にオハイオで開かれたバイクコンテストで優勝する。帰国後、BMXブランド「ARESBYKES」を旗揚げ。Xゲームは2000年から03年まで4年連続で出場した。06年には国内シリーズ「KING OF GROUND」の年間王者に、07年は日・米・欧のワールドシリーズ戦で総合3位に入った。

 

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