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世の中の“上辺”をはぐ ノンフィクション作家 石井光太
「大きなメディアにできないことをするのが自分の仕事」。ノンフィクション作家の石井光太(34)は、世界各国の路上生活者や障害者らの暮らしをありのままに伝えるスタイルで、注目を集めている書き手だ。東日本大震災後は現地入りし二カ月間、五百人以上から話を聞いた。「取材して書くことのほとんどは新聞やテレビに出てこないと思います」。その目に映った被災地とは、国内外の現場に駆り立てるものとは−。 性や貧困隠さず「これが世界」−震災発生後数日中に宮城県入りし、2カ月間1人で取材した。被災地で印象に残っている光景は 宮城県石巻市で、倒壊した自宅の下から出てきたポルノ本を抱えて泣いている男性がいました。「なくなった高校生の息子のもの」だと。新聞ではがれきの下から見つかった家族写真のことがよく取り上げられていますが、ポルノ本のような欲望を示すものも含め、その人が生きていた証し。おやじさんの気持ちはよく分かりましたね。
岩手県釜石市のある女性は津波のひいた後、小学生の娘の遺体を見つけて安置所まで自分の車の助手席に乗せて運んだそうです。その時にシートについた体液が黒いしみになってしまったが、その跡がいとおしくて消せないと話していました。 −ノンフィクション作家になろうと思ったきっかけは? 大学1年生の時、同級生が「インドに行く」と言ってたのを聞き、「ならば俺はもっとすごいところに行ってやる」と。地図をみたらインドの北にパキスタンがあるじゃないですか。「おお、じゃあパキスタンにしよう」って。 英語も話せず、現地で街をうろうろしてたら、自称ガイドが近づいてきて「金を払えばおもしろい所に連れて行ってやる」と言われた。ありがたいと思ってずっと「Yes、Yes」と言っていたら、いつのまにか国境近い難民キャンプにいて。気づいたらアフガニスタンにいた(笑)。 当時は内戦状態であっちこっちで爆発や銃撃戦をやっているような感じ。手足や目を吹き飛ばされた無数の傷ついた人々の姿を見て。「これが世界なんだ」と。この体験が頭から離れず、各国を回り、文章にするようになりました。
−取材した国は数十カ国。危険な経験は? そりゃありますよ。銃口を向けられた時に、言葉が分からないふりをしてにこにこしながら相手に抱きつき、難を逃れたこともあります。でもどんな対応がいいかは本当に時と場合によります。 −性や排せつ物、遺体などを真正面から取り上げているのも特徴です 人間って思ったよりずっと小さな世界で生きていると思うんです。酒場に行っても、話題になるのは菅政権や日本経済についてより、エロ話か恋愛の話が圧倒的に多かったりする。みんなトイレにも行くし、セックスだってするでしょう。うんこをしない人だっていないじゃないですか(笑)。そこにふたをして見えないようにされる世の中はおかしいとずっと思ってきました。
−それで、いまの取材スタンスに? もともと、物心ついたころから何かをつくる人になりたかったんです。そしてアフガンを訪れた時「こういう現場のことを書いたら必ず読まれるはずだ」と確信しました。 もともと異常なくらい本を読むので、同じジャンルであるノンフィクションもたくさん読んできました。でも、「どれもなんだか上から目線でえらそうだな」と思っていて。 そんな中、好きだったのが民俗学者の本。現地に住み込んでその土地の人と寝食を共にする。そのフラットな関係性にすごく共感しました。自分が取材するときもそっちの方が絶対に面白い話が聞けますしね。 いまの世の中は政治や経済など社会的な文脈だけで人間が語られ、そうやって書かれた本じゃないと評価されていないように感じます。例えば、芥川賞作家が新聞紙面をにぎわすことはあっても、ポルノ小説の新人賞が同じ紙面で取り上げられることはない。極端な話、どちらも取り上げられた上で、受け手が好きな方を選べるのが健全だと思うんです。
人の生活を追っ掛けまわした末に「社会はこうであるべきだ」「これは○○主義である」とかで締めくくる。そんなノンフィクション作家にはなりたくなかったですね。 逆に、僕の本を読んで「きらいだ」と怒る人がいてもいいんです。怒るというのは心が動いたということですから。 (敬称略) 担当・大野暢子 いしい・こうた 1977年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。マフィア組織に手足を切断され、物ごいをさせられるインドの孤児を追った「レンタルチャイルド−神に弄(もてあそ)ばれる貧しき子供たち−」(新潮社)、日本人HIV感染者に密着した「感染宣告−エイズなんだから、抱かれたい」(講談社)など著書は多い。ドキュメンタリー番組の制作や講演活動にも取り組んでいる。 PR情報
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