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popress【Human Recipe】あの人はどうやって「今」にたどり着いたか
 

絶望から世界の舞台に 車いすバスケ選手 宮島徹也

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脚切断…パラ五輪に見つけた夢

 ダダ、ガシャン、ギュキキィーッ。体育館に、車いすが激しくぶつかる金属音が響く。ゴール下での当たり負けしない力強さが持ち味の車いすバスケットボール選手、宮島徹也(22)=富山県砺波市出身=は、センタープレーヤーとして北京パラリンピックの大舞台で活躍した。8年半前、手術ミスで左脚を切断し、絶望のふちにたたされてから、新たなフィールドで日本代表にまで上りつめた原動力とは−。

 −バスケ少年から一転

 小4の時、兄2人の影響で地域のミニバスクラブに入った。当時は太っていて、運動は苦手。練習に嫌々行っていたけれど、ある日コーチにリバウンドをほめられて。勉強もできなかったし、他にほめられることもなかったからうれしかった。背も高く、小学生ですでに170センチあったから、「リバウンドだけは負けたくない」と練習に通い、のめり込んだ。

 その時は「うまくなりたい」「勝ちたい」の一心。中学でバスケ部に入り、富山県選抜選手を目指していた。練習中のあの瞬間までは、順調だった。

 中2の秋でした。シュートに行こうとボールを持ってゴール下へステップを刻み、着地した瞬間だった。「いたっ。あ…」って。誰かの足を踏んだ気がした。ピンと張ったと思ったら左膝が曲がらず、力が入らない。走り始めたが、遠くで「やめとけ」と声が聞こえた。見ると左脚がパンパンに腫れていた。靱帯(じんたい)断裂と診断されました。

 −絶望の中での出会い

 「手術すれば、またバスケができる」と思っていた。早くコートに戻りたかった。入院し、手術後、激痛で目が覚めた。治ったはずなのにおかしい。見舞いに来た友人からは「脚がどす黒い」と言われた。

 数日後、親か担当医だったか覚えていないが、「脚を切断しないといけない」と告げられた。後から聞いた話では、手術の際、血管が傷つけられ、ひざ下に血が流れなくなったらしい。医療ミス。血管をつなぐバイパス手術も失敗に終わった。

 足首から下を切断し、さらに壊死(えし)が進んだ膝上までを切った。短くなった脚を見ると、涙が止まらなかった。病室で「早くここから出せ。バスケがしたい」と当たり散らした。

 そんなころ、以前試合を見たことを思い出し、(車いすバスケが題材の)漫画「リアル」(井上雄彦作)を母親に買ってきてもらった。「すごい、俺もやりたい」

 そして、どこから聞いたのか3歳年上で、車いすバスケジュニア日本代表だった野沢拓哉さん(富山県出身)が訪ねてきた。「一緒に日本代表になろうぜ」。年も近く、すでに世界と戦っている彼が直接そう誘ってくれたことが、競技を始めるきっかけになった。

 −日本代表への道のり

 彼のいる富山のチームを見に行くと、下半身が全く動かない選手や年配の選手もシュートを決めていた。明るくプレーし、障害のことも笑って話す。単純に「すごいな」って。

 春になり、退院後、週2回チーム練習に参加。最初は車輪をこいでもこいでも追いつけないし、ブレーキをかけるたびに手の皮がめくれて。思う場所に行けず、初試合は女性選手に行く手を阻まれ、何もできずに終わった。

 悔しかった。それでも、バスケができるうれしさが勝り、もっとうまくなろうと思った。野沢さんに追いつきたい気持ちもあって、「北京パラリンピック日本代表になる」と目標をあえて高く置き、自らを奮い立たせた。

 1人で体育館に行き、車いすでジグザグに走ったり、回転する練習を繰り返した。人一倍練習したけど、苦にならなかった。何よりも、勝った時の気持ちよさが好きで、けがの前から上を目指してやってきたので。3年目、ジュニア日本代表になれた。

 2008年、大学2年の時、念願の北京パラリンピックに出場すると「メダルを取りたいなら、代表に選ばれてからでは遅い」と実感した。考え方を、世界に勝つために今何をすべきか、と逆算するよう変えなくてはならないと。

 −過去とこれから

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 脚を切断した時は、人生のどん底のように感じた。でも、野沢さんに誘われて一歩外に踏み出したことで、いろんな人に出会えたし再びバスケを楽しめている。今は脚を切ったおかげとすら思える。

 目標は、富山チームを日本一にすること。そして、次のロンドンパラリンピックで活躍し、世界で注目される選手になりたい。 (敬称略)

  担当・奥野斐

 みやじま・てつや 1988年、富山県砺波市生まれ。バスケ部に所属していた中2の時にけがを負い、半年後に車いすバスケを始めた。高2の時にジュニア日本代表、日本福祉大(愛知県)在学中に北京パラリンピック日本代表に。今年4月、津田駒工業の関連会社「ふぁみーゆツダコマ」(金沢市)に就職。金沢市に住む。富山県車椅子バスケットボールクラブ所属。

 【車いすバスケットボール】

 コートの大きさ、ゴールの高さ、ボールの大きさなどは一般のバスケットボールと同じ。ダブルドリブルがないことを除きルールもほぼ同様。障害レベルの重い選手から1.0〜4.5の持ち点が定められ、試合中コート上にいる5人の合計が14.0点を超えてはならない。宮島選手は4.0点。

 

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