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3.11 若者が伝えていく 金沢の学生 石巻を訪ね、学び、誓う

津波の痕跡が残る宮城県石巻市大川小跡地の校舎の前で佐藤敏郎さん(右)の話を聞く参加者

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 東日本大震災から6年半以上たった今、被災地に目を向け、震災の教訓を伝えようとする若者がいる。仙台市の新聞社「河北新報社」が主催する通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」には、学生や20代の社会人116人が参加する。10月中旬、記者の呼び掛けに応じた金沢の大学生5人が、宮城県石巻市を視察する講座に参加し、遺族の話を聞いた。津波被害の痕跡や復興が進む町を見て、何を感じたのか。(督あかり)

「伝える/備える」次世代塾 通年の育成講座

悲しみに向き合い 未来へ

 東日本大震災に向き合う全15回の通年講座で、河北新報社が仙台市や大学などと協力し、今年から始めた。震災の教訓を伝承し、防災の啓発のために動く若者を育成する。捜索と救命、生活再建、学習支援など講座の題材はさまざま。

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大川小児童の父 託す思い

 講師は、宮城県石巻市大川小6年生だった次女みずほさんを亡くした「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さん(54)。大川小跡地の校舎の前で、6年半前のあの日を振り返った。

 大川小では、全児童108人のうち児童74人、教員10人が犠牲になった。校舎の窓枠から崩れた天井が見え、校舎と体育館をつなぐ渡り廊下はぐねっと曲がり、津波の威力を感じた。

 佐藤さんは元中学校教諭。みずほさんが通った校舎を前に淡々と語り始めた。「娘はピアノを習っていた。3月18日の卒業式で合唱の伴奏をする予定だったんだ。でも遺体安置所に運ばれた娘は、眠るように動かなかった」

 海岸から学校までは3.8キロ。地震発生から津波が到達するまで51分あったが、児童と教諭らは裏山に逃げずに校庭で待機した。参加者は佐藤さんと一緒に学校の裏山に登り、校庭を眺めた。「どれだけ怖くて、無念だったか。生き残った児童も、この6年半必死に生きてきた」

佐藤敏郎さんと一緒に大川小跡地の裏山に登り、校庭を望む参加者=宮城県石巻市で

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 なぜ逃げなかったのか−。参加者の質問に「逃げようと思った先生は多くても、話し合いがかみ合わず、組織的な意思決定がうまくいかなかった。マニュアルや訓練など事前の備えが不十分だった」と指摘した。「訓練は判断と行動につながらなくてはならない」と力を込める。

 震災遺構として保存されることになった大川小には、県内外から多くの人が訪れる。校舎の周りには、ボランティアが植えた花が色鮮やかに咲き、風に揺れていた。佐藤さんは「生きてきた証しを見せたいけど、見てほしくない気持ちもある」と複雑な思いを明かした。校舎を保存するための予算や安全性が議論される中で「何のために公開するのか考える必要がある」と語る。

 最後に佐藤さんは若者たちに語り掛けた。「救ってほしかった命だよね。児童それぞれに物語があり、伝えることがある。ここはつらくて悲しくて悲惨な場所。でも向き合うことで、未来につながっていく」

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見聞を家族に

金沢大2年 榎谷(えのきや)胡桃(くるみ)さん(19)

 震災はどこか遠い所の話だと思っていた。気付いたら6年以上たっていた。でもバスの車窓から見た石巻の町並みは、地元の富山県高岡市にそっくり。製紙工場の煙突や大きな川、広がる海。大川小の校舎はえぐり取られて不思議な形になっていて、渡り廊下がぐにゃっと曲がっていてびっくりした。

 日本海側の富山は防災意識が低いと感じる。大丈夫やろって。でも、震災はいつどこで起こるか分からない。身をもって体験していないと本当の怖さは感じられないが、この目で見て聞いた話を家族に伝えたい。

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来てくれ感謝

金沢大1年 千葉 燦太(さんた)さん(20)

 僕は宮城県利府町出身。震災後1カ月ほど断水や停電が続き、先行きが見えず不安だった。でもそこまで大きな被害はなく、大学生になって被災地への意識が薄れてしまっていた。救える命を救えなかったという遺族の話を聞いて、改めて考えさせられた。

 震災直後に石巻に行ったことがある。家が流され、船や車がひっくり返り、道路が寸断されていた時に比べ、インフラの復興を感じた。ただ完全にしているわけではない。直接見て分かることがある。県外の仲間に地元の宮城に来てもらえて純粋にうれしかった。

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何ができるか

金沢大1年 佐藤 真歩さん(19)

 私は大川小のように震災遺構となる石巻市門脇小学校出身で被災した。「遺構だが、娘にとっては母校。見せたいけど見てほしくない気持ちもある」という佐藤さんの気持ちがよく分かった。

 私は震災後に仙台に引っ越した。久しぶりに石巻へ行くと道路や町並みが変わっていて、本当にここに住んでいたのかなって思った。不思議で悲しい気持ち。震災を知らない世代が増えていく。佐藤さんはみんなの前に立って話していて、本当に強いなと思う。大学生になった今、私に何ができるか考えていきたい。

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自分と重ねて

金沢大2年 梁取(やなどり)紀之さん(19)

 大川小の校舎を見ると、津波の被害が生々しく、怖いと思った。でも佐藤さんの話を聞いてとらえ方が変わった。子どもが6年間学び、鬼ごっこや隠れんぼをして遊んだ校舎。自分の小学生の時と重なった。普通の小学校が、震災以降に負う使命が変わった。命の大切さを伝え、防災を考える場に。

 震災以前に家があった場所は、空き地できれいさっぱり何もなくなっていた。被害の大きさに直面して戸惑った。僕は新潟県出身で地方公務員になりたい。自分の目で見たことを忘れず、防災について考えたい。

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発信手助けを

金沢美術工芸大3年 古山 千穂さん(21)

 私は滋賀県出身だけど、母方の祖母が仙台に住んでいる。震災の時、中学2年生だった。家でテレビの映像を見ながら、母は祖母に電話がつながらず焦っていた。祖母が大丈夫だと分かって、津波の映像は見ないようにした。怖かったから。水で建物が倒れるなんて想像がつかなかった。

 私たちは被災地について知る責任がある。佐藤さんは元気な人だけれど、自分の娘を失うってどんな気持ちなんだろう。つらいと思う。それでも伝えてくれる。やっぱり私たちは知らなきゃいけない。発信の手助けができたらいいな。

 

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