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もんぺカワイイ!

若者からお年寄りまで、もんぺ姿で闊歩(かっぽ)する女性たち=石川県白山市木滑で

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 石川県白山市の山あいを車で走ると、ヒノキ笠(がさ)にもんぺ姿のお年寄りが目に飛び込む。シルエットも「もんぺ」の語感も丸みがあって、とにかくかわいい。私も欲しい!と心奪われ、おしゃれ着になる現代風のもんぺがあると聞きつけて、本場・福岡へ飛んだ。

「現代風」洋服にもマッチ

 赤い水玉にストライプ、昔ながらの梅鉢模様−。福岡市中央区の繁華街にある古民家「松楠居(しょうなんきょ)」で7月上旬に開かれた「もんぺ博覧会」には、日本三大絣(かすり)の一つの木綿絣「久留米絣」製のもんぺがびっしり1000着以上も並んでいた。サイズはSS〜3L。価格は1万円前後。色も柄も豊富なもんぺのジャングルに、若者がいた。九州大大学院1年の上妻潤己さん(22)。青い細身のもんぺ姿を鏡に映し満足げだ。

 もんぺとの出合いは4カ月前。「単純におしゃれで、普段の服と合わせやすい。通気性がよく、肌触りも気持ちいい」。ジーンズや綿パンツにないはき心地が気に入って週に1度ははくようになり、学校にも映画観賞にも出かけていく。会場には子ども連れの母親の姿も。若い世代をも引き付けるのは、洋服にも合わせやすい現代風のもんぺがあるからだ。

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 小さく折りたためる柔らかな素材で膝当てが付くなどの特徴はそのままに、胴回りをほっそりとさせ、全体をほどよくスリムに。すそのゴムの締め具合も自分で調整できるようにして着こなしの幅を広げてある。

 博覧会は、築後地方のものづくりを発信するアンテナショップ「うなぎの寝床」(福岡県八女市)の代表白水高広さん(30)が企画する。妻の実家が織元で久留米絣に関心はあったが、婦人服のイメージが強かった。あるとき、唯一、はけそうだったもんぺを買い、柔らかな着心地のとりこになった。

 「洋服と同じ感覚で着られると知らせたい」。2011年に八女市で博覧会を初開催。織元は「売れるわけがない」と半信半疑だったが、反響は大きかった。2年目からオリジナルの型紙を売り始め、翌年、現代風のもんぺを商品化。博覧会の会場は、福岡市や東京都にも広がった。

 オリジナルのデザインは、無地や「ずらしストライプ」「十字模様」など20種以上。今年、博覧会の会場となった「渋谷ロフト」(東京都)によると、黒地や灰色地の水玉柄が人気を集め、外国人も大サイズを購入した。同店バイヤーは「動きやすく涼しい。着心地のよさがナチュラルスタイル好きに受けている」。

「ニッポンのジーンズ」に

福岡市で見かけたもんぺファッションを楽しむ若者たち(左)もんぺ風サルエルパンツ(中)ベージュ無地もんぺで和風に(右)無地のもんぺをシンプルに白いTシャツと

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 白水さんは今年、久留米絣を軸とする衣料研究所も発足。歴史や文化的背景を掘り下げ、生地見本の保存などに取り組む。もんぺを「ニッポンのジーンズ」に育て上げることを目指し、「通販で海外にも売り込みたい」と展望を描く。

 博覧会に出品する明治創業の織元「野村織物」(同県広川町)の野村哲也社長(70)によると、久留米絣の織元は20年前で100軒近く。現在は洋装化で30軒ほどに減り、後継者に悩むところも多い。「博覧会は若い人に久留米絣を知ってもらう良い機会。ものづくりの川上から川下まで連携を深めていきたい」

もとは野良着…戦時中「決戦服」として全国へ

 裾のすぼまりが印象的なもんぺ。ふくらみのある形状が現代風では細身になり、他のズボンとの差は減ってきた。歴史をひもとけば、もともとは北海道や東北の野良着。過去にも腰ひも代わりにゴムが使われ始めるなど変化してきた。戦時中には戦意高揚の「決戦服」として全国に広まった。

 「たんすの着物をほどいて縫った。田んぼに出るさけぇ泥がつく。毎日、川で洗った」。白山市の山裾、石積みの棚田が美しい木滑地区の谷端美津子さん(82)は、そう振り返る。校庭でカボチャを育て、勉強どころではなかった戦中戦後。はいていたのは、もっぱらもんぺだった。

 もんぺは戦後も、生活に根付いた。「田畑で作業する時、しゃがんだり立ったり動きやすい」。近くのスーパーには1000円ほどでもんぺが売られ、50〜70代の女性が買うという。谷端さんも「好きなん(色柄が)いっぱいさげてある」とえびす顔。けれど、年を取ったから、「うら(私)には、ちょっこ赤いのはためらうな」と照れた。

 玄関先で世間話に花を咲かすときにも、やっぱりもんぺ。グラウンドゴルフなど外出ではく「ハイカラなズボン」に比べて、自然体でいられるのも魅力だ。

 安田女子大(広島市)の津島由里子講師(67)=服飾史=によると、明治、大正時代の女性の服装は着物やはかまが中心。男子の国民服が誕生した2年後の1942(昭和17)年、国は女子の活動着に質素で機能的なもんぺを奨励した。都市部では「貧しい農民層の着るもの」と拒否反応があったが、空襲が襲い始めて普及。現代版もんぺには「クールジャパンで売り込めるのでは」と期待した。

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はき続ける母の形見

 「よーきたんなぁ。はや入って、ねまれぇや(座って休め)」。白山市中宮のにしやま旅館では、Tシャツにもんぺ姿の山本砂織さん(45)が方言で温泉客を出迎える。「もんぺは自分を変えてくれたきっかけ。私の一部」。愛用するのは20年前に脳出血で46歳で急逝した母、西山良子さんの形見だ。細身の山本さんにはゆったりとしたLLサイズ。秋冬にもはける中綿入りだったが、すっかり擦り切れた。ほつれを繕い、緩んだゴムを何度でも取り換える。

 山本さんは3人きょうだいの長女。良子さんが亡くなった当初、父喜一さん(70)が営む旅館で働くものの、人見知りで思いが空回りするばかり。1年近くたち「お母さんをまねしてみよう」と遺品のもんぺに足を通した。「ほっとした」。高校時代から親元を離れて金沢で暮らし、標準語を話していたが、母と同じ方言に改めた。「若いのにもんぺはいとるんやね」と客と自然に会話が弾んだ。「繊細な心を持ちつつ誰とも分け隔てなく接していた母と同じように人と関われるようになった」。

 母を知る常連客は「がんばっとるか」と声を掛けてくれる。蔵にしまっていたもんぺを分けてくれる地元の人も。つらいときも旅館の裏山で歌い、山菜を採れば、気分が晴れ、頑張ろうと思える。「自分しか見えてなかったのが、多くの人に助けられていることに気付いた。自然や旅館のありがたさも分かった。感謝する心を知った」と山本さん。

 もんぺをはき続けるのは「形あるものとして母とつながっていたいのかもしれません」とはにかんだ。

 

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