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たどる3.11の絆 大震災4年を前に

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 東日本大震災から間もなく4年。被災地を思い、支援や交流を続けている人たちが北陸にもいる。原発事故に見舞われた福島県浜通りには江戸時代、飢饉(ききん)からの再建を加賀藩からの移民が支えた歴史がある。その縁は震災後の交流で強まり、新たな絆もできた。北陸と東北のつながりをたどった。(担当・福岡範行)

北陸から 東北から

富山→福島

先祖の柿 笑顔満開 

富山県南砺市産の干し柿を手にする木ノ下秀昭さん=福島県南相馬市原町区で

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 「富山の柿は甘いんだ」。白く粉を吹いた富山県南砺市産の干し柿を手に、福島県南相馬市の浄土真宗原町別院で、住職木ノ下秀昭(しゅうしょう)さん(78)がほほ笑んだ。

 南相馬には200年ほど前、浄土真宗の門徒が富山から集団移民。そのとき持ち込んだ郷土の柿を「富山柿」と呼び、民家ごとに1本以上植えて育てた。

 だが、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故後、柿は放射性物質による汚染が心配され、食べられなくなった。

 原町別院は1880(明治13)年に移民が建てた。木ノ下さんは同県飯舘村と隣接した山際の別宅で暮らしていたが、原発事故で空間放射線量は毎時1.2マイクロシーベルトまで一時上がり、町中の本堂そばに移住。高さ10メートル近い富山柿の実は鈴なりのまま、サルの餌になった。

 そんなとき、震災直後から何度も支援に通ってくれる南砺市の住職が干し柿を届けてくれた。移民の子孫であるお年寄りたちは「珍しいね」とほおを緩めて、味わった。通信販売で取り寄せるようにもなり、新しい季節の味になった。

 原町別院では支援の一環で、相馬移民の劇も上演された。木ノ下さんは北陸の人たちに感謝する。「疲弊したところに差し込む光。門徒さんが笑顔になるのがうれしい」

福島→金沢

涙自然にあふれた

朗読劇の台本を読む森山優衣さん=金沢市の市民芸術村で

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 金沢大4年森山優衣さん(21)は南相馬市と同じ福島県浜通りの双葉町から震災後、金沢に来た。相馬移民が建てた原町別院は高校の近くにあり、合唱を練習した思い出の場所だ。

 大学進学直前、東電福島第一原発からわずか5キロの自宅で被災。2週間、避難所などを渡り歩いた。

 大学では福島出身だと自己紹介をすると、いつも戸惑われた気がした。周りには福島に関わろうという人はおらず、「大学生ってこんなもん」と冷めていった。被災の悩みは封印し、「早く東北に戻りたい」とずっと思っていた。

 その気持ちは昨年10月にがらりと変わった。福島県飯舘村の全村避難を描いた朗読劇「空の村号」に出演したのがきっかけだった。

 会場の石川県野々市市の常讃寺に、100人の観客が集まった。舞台の脇から、涙を流す人を見つけた。福島の苦しさに心寄せてくれる人がいるのがうれしくて、自分も涙があふれた。「このときから、人前で泣けるようになりました」

 避難者や支援者らに本音を打ち明けるうち、大学の友人にも少しずつ福島の話題を出すようになった。先月、久しぶりに話したサークルの3学年上の先輩は「そういえば震災後に募金集めを手伝ったな」とぽつり。身近な人も実は被災地を思っていたんだと気づいた。「みんなが福島に関心がないと思っていたけど、自分も無関心だったんだ」

 震災直後は、数日で実家に戻れると思っていた。事故の重大さは次第に感じてきているが、今でも朝起きると実家にいる気がして、震災は現実じゃないように思えるときがある。心の整理は、まだできない。

 そんな思いを率直に話せる人が金沢にはいる。就職のため上京し、金沢を離れるけれど、高校生になる妹とまた遊びに来るつもりだ。「福島を受け入れてくれる場所だと知ったから、私が懸け橋になりたい」

金沢→岩手

避難者に背押され

福島県からの避難者らと話す大久保咲貴さん(左から2人目)=金沢市大手町で

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 福島と金沢を結ぼうと決意した森山優衣さんが朗読劇を上演するグループと出会ったのは、福島県いわき市からの避難者森島幹博さん(49)が営む金沢市大手町のカフェ「ロサンゼルス」だ。

 2月11日、このカフェで岩手県陸前高田市を訪れて支援を続ける金沢大ボランティアさぽーとステーション(ボラさぽ)の活動資金を募るイベントが開かれた。

 イベントの呼び掛け人はボラさぽOGの金沢大大学院2年大久保咲貴さん(24)。昨秋、ロサンゼルスでアルバイト中、森島さんに「後輩たちが資金難なんです」と打ち明けた。

 「被災地に行く若者に、金沢にいる避難者のことも知ってほしい」と森島さん。カフェに集う避難者グループ「11の会」にも声を掛け、学生との交流も兼ねて資金を募る「かけはしカフェ」の実現を後押しした。

 当日の来場者は50人以上。話題は金沢でできる支援から原発や選挙まで広がった。「学生だけでは出てこない話をあちこちでしていた。後輩にはいろんな視点を吸収してほしい」と大久保さん。かけはしカフェは今後、ロサンゼルス以外の場所でも開くという。

金沢→岩手→故郷

帰郷再会を誓って

2014年3月、被災地の中学生と記念撮影する竹内大貴さん(2列目の左から3人目)=岩手県陸前高田市で

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 福島からの避難者らが背中を押した金沢大ボランティアさぽーとステーションは延べ700人以上を被災地に送ってきた。その1人、金沢大3年竹内大貴さん(21)は「被災地に行かなければ、今の自分はなかった」と振り返る。

 2012年10月、ボラさぽの派遣で岩手県陸前高田市を初めて訪問。草もない平らなだけの土地に衝撃を受けた。その後何度もボランティアツアーに参加したが、「週末に行くだけ」の被災地支援に限界を感じた。

 東京から移住した若者たちのNPO法人を頼って、昨年2月28日から1カ月間、陸前高田市に滞在。イベント運営を手伝いながら、数百人と話した。

 震災で従業員を亡くした土木業者の男性社長は、木質の固形燃料「ペレット」でまちおこしをしようと前を向き、中学生たちは「人を助けたい」「一からまちづくりしたい」と語った。

 一歩を踏み出す人たちは、それぞれに現実を受け止めていた。「被災地は外から見れば特別な場所だけど、被災者には日常なんだ」

 東北へボランティアに行ったのは昨年8月が最後。だが心は離れていない。「東北は支援する場所じゃなくて、会いたい人がいる場所になりました」

 復興に挑む彼らの姿が刺激になり、自分は故郷の長野県高山村で地域の課題解決に貢献しようと起業の準備を始めた。東北にもまた必ず訪れる。「自分のこともちゃんとやれよ」と笑ってくれた仮設住宅の自治会長たちと再会したいから。

 

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