トップ > 北陸中日新聞から > popress > 特集 > 記事

ここから本文

popresspopress【特集】
 

北陸 縄文トリップ

真脇遺跡の環状木柱列(魚眼レンズ使用)

写真

 1万数千年前から、3000〜2400年前まで続いた縄文時代。遠い過去に思えるけれど、土器作りや定住生活が広まり、今につながる暮らしの原形ができた。北陸にも遺跡や遺物がたくさんある。出掛けるのにちょうど良い季節、たくましくて、ミステリアスで、おしゃれな縄文ワールドへ!

マッチョな力業

 原っぱの真ん中に、10本の大きな木の柱が円を描いて立つ。夕日に照らされ、草の上には長い影。石川県能登町の真脇遺跡は、2011年に復元された環状木柱列(かんじょうもくちゅうれつ)がシンボルだ。2800年前、直径1メートルもあるクリの大木を石おので切り出し、半分に割って立てた。屈強な縄文人の姿が浮かんでくる。

「お魚土器」=いずれも石川県能登町で

写真

 縄文時代は氷河期が終わって暖かくなり、ドングリの森が広がって現在に近い環境に。豆類やアワ、ヒエなど雑穀も食べたようで、土器が発明されて定住型の生活が広まった。そこから木柱列のような建造物も生まれたのだろう。日本の土器は世界でも最古級。エジプトやインドよりもずっと古いとか。自尊心がくすぐられる話だ。

 土器で煮炊きしてドングリなど堅い物も効率良く食べられるようになり、定住が進んだとされる。富山県氷見市の朝日貝塚は、日本で初めて縄文の住居跡が発掘された遺跡。石組みの炉を囲んで食事を作り、家族でだんらんしたはず。

 真脇にはもうひとつ、貴重な食料があった。それは、イルカ。出土品を紹介する縄文館に骨がいくつも展示されている。定期的に回遊してくるイルカこそ、4000年にわたって栄えた集落の支えだった。

 縄文館の入り口近くには、「日本漁業発祥の地」の石碑まで。説明にいわく、多くの人が携わり、組織的な追い込み漁でイルカを捕っていた。チームワークは現代人以上だったかもしれない。

写真

おしゃれも盛ん

 多彩な土偶や土器からは、おしゃれ意識の高さもありありと分かる。富山市の長山遺跡は、髪を編み上げ、一部は三つ編みにして背中に垂らした形の土偶が出土した。さまざまな土偶の体に施された模様は、実際にボディーペインティングなどが盛んだったことを反映しているとの説も。

 富山県南砺市の井口遺跡からは、イノシシ形の土瓶が見つかった。口を開けた格好が愛らしい。真脇遺跡にも、通称「鳥さん土器」「お魚土器」がある。いずれも絶妙のデザインで、今でも普通に売れそうだ。

解けぬ多くの謎

 これだけ多くの遺物が出てきても、縄文にはまだまだ謎ばかり。北陸周辺にしかない環状木柱列も、具体的な用途は不明だ。

 真脇遺跡では復元にあたり、当時と同じように石おのでクリを伐採、加工した。直径1メートルの大木はなく、半分ほどの大きさの木を使った。縄文館に実物とパネルで経過が紹介されている。例えば、「1時間54分2秒で5748回の打撃を加えました」。縄文館の高田秀樹館長(53)は「縄文人はもっと速かったはず。私たちはだんだんおのを振れなくなった」と笑う。

 石おので大汗をかいて作っても、やっぱり謎は謎のまま。でも、日が沈んで薄暮に包まれた木柱列を見やる高田さんは楽しげだった。「新しい時代と違って、すべては分からないのがいいんですよ。へへ」

今井和人さん(左)らが作った「三連ます」=石川県能登町で

写真

若者 土偶や弓矢「アツい!」

 縄文にひかれる若者は多い。真脇遺跡の近くに住む今井和人さん(32)は、子どものころから縄文的生活を送っていた。サザエやアワビ拾いはもちろん、そのあたりの土で土器を作ってみたり、木で火おこしに挑戦したり。

 3年前から、地元の若者グループ「姫栄(ひえい)会」でも縄文を学び、遊んでいる。高田館長と一緒に、ドングリのあくを抜く「三連ます」を築き、丸太引き祭りを開催。木柱列の中でのコンサートに、弓矢体験も。「熱中しすぎて腕が内出血した」。今年は弓も自分たちで作るつもり。最終目標は、当時の方法で住居を造ること。「縄文カフェをやりたい」

 金沢市内でダイニングバーを営む長谷川琢士(たくお)さん(30)は、「土偶とかのフォルムが好き」。得意の木彫りで、土偶も作った。縄文人が土器を発明したことにも注目する。「煮るという調理法で、木の実や骨なども食べられるようになった。食材を無駄にしない、和食につながる思想がある」と話す。

 頭から入った人も。金沢市の小杉裕香さん(32)は、科学技術の発達した現代だからこそ、根本を見直そうと縄文の文化に目を向け、土偶などにもひかれるように。関連する本を数十冊読破し、「人間がトップではないという考え方がいい。縄文中期が一番アツいです」。

写真

吉田泰幸・金沢大特任准教授

親近感持つ日本人「世界的に珍しい」

 縄文時代について分かっていること、現代に生かせることは何か。金沢大の吉田泰幸特任准教授(歴史学)に解説してもらった。

 縄文時代は、土器を使うことで格段に煮炊きの効率が上がった。豆類やアワ、ヒエなど雑穀を食べていたとの研究も。狩猟、特に漁猟の技術が発展し、環境への適応能力は高まった。

 定住性が強まると、人と人の関わりも緊密になっただろう。着飾っており、ピアスも。土偶の模様は、実際の入れ墨ともボディーペインティングとも。現代人より過剰だったのは確かだ。

 自然と調和していたというイメージがあるが、研究者間の議論は分かれている。ある年齢以上の動物だけを取っていたとの研究がある一方で、遺跡から出てくる貝がだんだん小さくなり、採りすぎたのではという説も。

 縄文にインスパイアされたアート展が開かれたり、遺物に現代とのつながりを見いだしたり。専門家が言う前に、多くの人がすでに縄文から何かを受け取っている。実は、1万何千年も前の人が私たちと連続していると考える感覚は、世界的には珍しい。日本も様々な集団が混じり合って今があるはずだが、その経緯にはあまり目が向けられない。

 担当・日下部弘太

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索