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popress【Alternative】サブカルチャーなど、新聞らしからぬ?話題
 

為政者は前田家に学べ 百万石 守ったリーダーシップ

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環太平洋連携協定(TTP)の参加交渉や震災の復旧復興、今後の原子力行政−。近ごろは政治の指導力が求められる場面が多い一方、どうも現代のリーダーたちは足腰が定まらず頼りない。混迷を極める昨今、為政者はいかにリーダーシップを発揮すべきか。歴史にヒントを求めるべく、「加賀百万石」の栄華を築いた前田家の名君に光を当ててみた。(メーン担当・宮畑譲 サブ担当・佐藤航、浅井貴司) 

 真のリーダーはどうあるべきなのか? 戦国武将に扮(ふん)するエンターテインメント集団「名古屋おもてなし武将隊」の前田利家さんに聞いてみた。

己を顧みず民の心で動け

真のリーダー像とは

 ワシが考えるリーダーの資質は、己の利益を顧みず民の心を持って動けるかどうか。戦国武将といっても、お山の大将ではいけない。部下の信頼を得るためには行動が大切だ。部下は大将の背中を見て必然的に集まるもの。

 戦国時代は常に戦があった。戦は一族や主従の絆、つながりがなくてはできない。前田家は、当主の下に家族のような信頼を育んでいたのだ。今のリーダーに、そんな資質があるだろうか。

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的確な決断 ぶれない姿勢

恩ある豊臣捨て徳川に

 世論を二分する問題に真正面から向き合い、時に重大な決断を迫られるのがリーダーの宿命。2代・利長はそんな局面で英断を下し、さらなる繁栄の道筋をつけたといわれる。

 利長が利家から家督を継いだ当時、前田家は領地拡大に伴って家臣数が膨れ上がっていた。大規模なリストラが避けられない状況に加え、家臣団は「親豊臣」と「親徳川」に割れており、藩主の利長も難しいかじ取りに直面していた。

 父を取り立てた恩義ある豊臣に付くか、勢いある徳川を選ぶか−。利長は豊臣派の家臣を徹底して排除。関ケ原の戦い(1600年)でも徳川家康率いる東軍側に付き、覇権を握った家康から領地を与えられた。

 前田家を研究する北陸大の長谷川孝徳教授(日本文化史)は「的確に情報を得て決断が速く、一度決めた方向性を変えない」と評価する。米軍普天間飛行場の移設問題をはじめ、あらゆる施策でぶれ続けてきた政権にも見習ってほしい姿勢だ。

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逆境乗り越え柔軟な発想

最先端の政策で財築く

 内政面で手腕を振るい、藩の財政を盤石にしたのが3代利常だ。「改作法(かいさくほう)」と呼ばれる、当時としては画期的な農業政策を実施し、安定した税収を確保した。

 この政策は、侍が直接年貢を徴収することを禁じ、それまで作柄の豊凶に応じて変動させていた年貢率を一定にした。さらに生活が苦しい農民には、春に借りた米を秋に返す“ローン”を認め、安定して年貢を徴収できるようになった。

 当時、最先端だったこの政策は幕末まで受け継がれ、加賀藩は潤沢な財政を誇った。そのため、利常以降の加賀藩は文化工芸政策に力を入れていく。

 利常は関ケ原の戦い後、人質になったことがある。前田家の当主で人質に出されたのは利常ただ一人。苦難を乗り越えてきた為政者だからこそ、柔軟な発想で政治に臨めたのかもしれない。

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バランス型の多角展開

産業と文化全国に誇る

 時は元禄時代。徳川家による統治体制が確立し、天下泰平が訪れていた。この時代に5代目の綱紀が藩主に就き、加賀藩はますます繁栄していく。

 綱紀の大きな功績とされるのが、殖産興業と文化事業だ。漆工や金工などの職人を育て、刀装具、甲冑(かっちゅう)などの技術で加賀の地は全国に名を広めた。

 さらに綱紀は全国から大量の書物を取り寄せ、加賀藩を「天下の書府」と呼ばれる文化先進地に育てた。石川県立歴史博物館の塩崎久代さんは「彼のおかげで残っている貴重な書物もある」と話す。

 文化事業だけではない。綱紀は貧しい人を「御救小屋(おすくいごや)」という施設に収容し、開拓事業に従事させるなどの社会事業も進めた。

 経済に文化、社会福祉。バランスの取れた政策展開で、歴代当主の中でも「屈指の名君」との呼び声が高い。

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徳川と共存 巧みな距離感

 利家の跡を継ぐという難しい状況で百万石の基礎をつくった、二代目利長のバランス感覚に注目します。

 秀吉の死後、前田家は覇権を争うライバルとして徳川家から警戒されていた。それでも、芳春院(まつ)を人質として江戸に出したり、利常と珠姫(徳川秀忠の娘)を結婚させたりして徳川家との関係を保った。

 ナンバーワンになって天下を取るより、家の存続を大事にして行動するという印象を持ちます。前田家の基盤づくりには、利長のバランス感覚が大きく貢献したと思います。

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優秀な部下 大事に育てた

 泰平の世が続いて戦国時代が遠ざかるにつれ、殿様に武将としての力量は必要ではなくなっていく。そんな中で前田家の統治がうまくいった背景には、優秀な家臣団を育てて大事にしたことがあると思います。

 前田家には八家と呼ばれる家臣のまとめ役、今で言うと事務次官のような頭脳集団がいましたが、歴代の藩主はその力を十分生かし切ったのでしょう。これが、長きにわたって百万石を維持できた理由の一つだと思います。今の時代に置き換えれば、立派な家臣(官僚)を育て、使いこなせる政治家が求められていると言えそうですね。

 

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