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遠く離れても 同郷の力に 北海道地震

開墾当時を記した資料などを前に、北海道の震災被害を心配する小杉繁さん(左)と新田満さん=金沢市二俣町で(篠原麻希撮影)

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金沢・二俣→移住開墾の子孫思い

 北海道地震で三十六人が亡くなった厚真(あつま)町では、明治時代に開墾で移住した金沢市二俣町の住民の子孫二人も犠牲になった。その二人が暮らした高丘地区と二俣の住民たちは一九九四年の移住百周年をきっかけに交流。亡くなった松下一彦さん(63)は先祖の故郷を訪れたこともある。ゆかりの地の惨状に、二俣の住民たちは「胸がつぶれる思い」と心を痛める。(寺田結)

 「土砂崩れの映像を見て、弱ったなと思った。すぐに松下さんの顔が浮かんだけれど、停電で電話もかけられなかった」と、二俣町の新田満さん(85)は肩を落とす。百周年記念の式典で松下さんと先祖が同じであることを知り、年賀状を毎年送り合ってきた。地震後、連絡が取れないまま、犠牲者を伝えるテレビのニュースで松下さんと長男の陽輔さん(28)の名前を見つけた。

 厚真町高丘自治会が九六年に発行した「高丘百年誌」によると、農地を求めた二俣町の三十九戸は一八九五〜九六年に高丘へ移住した。貸し付けを受けたのは、原生林が広がる六十一万九千五坪の国有未開地。移住者は郷里から持ってきた小さなのこぎりなどを使い、約四年かけて開墾した。

1994年、移住100周年を記念して厚真町高丘で開かれた式典。二俣の住民も多く参加した

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 祖先の苦労をしのび、高丘の住民は一九九四年に移住百周年の式典を開催。それに先立ち、住民代表の九人が二俣町を訪れた。町内を案内した小杉繁さん(86)は「先祖を大切にする高丘の皆さんの思いに心を打たれた。ここから交流が始まった」と振り返る。式典には二俣町からも四十四人が参加した。

 今も双方の住民は年賀状や電話で近況を伝え合って交流を続ける。石川県内を豪雨が見舞った時は「雨は大丈夫か」と電話をかけてくれた高丘の住民もいた。北海道地震を受け、二俣町の住民は十日に高丘の知人に電報を送った。小杉さんは「震災を機に離農者が出たら、先祖が苦労して作り上げた田畑は荒れてしまうだろう。失うのはつらいことだ」と語る。

 復興の手助けにと二俣町会は義援金を集めて寄付する予定。二俣町会長の宮村雅好さん(68)は「厚真の山の風景をテレビで見たとき、二俣に似ていると感じた。そこに二俣の子孫が住んでいると聞くと、とても人ごととは思えない。早く高丘の人が普段通りの生活が送れますように」と願っている。

 金沢市二俣町から北海道厚真町高丘への集団開墾移住 和紙の生産が盛んだった二俣町では1881年の豪雪で原料の樹木が枯れた。回復の見込みが立たず、農家の亀井三四郎を中心に新たな農地を求めて移住を検討。95年に4戸が高丘へ移り、翌年には35戸が移住したとされる。

 

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