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機雷 恐怖に沈んだ七尾湾 米軍、時間差爆破の標的に

専門家として初めて現場海域を視察する大井田孝さん(手前)。奥は同行の角三外弘さん=石川県七尾市能登島佐波町で(前口憲幸撮影)

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 太平洋戦争末期、石川県の七尾湾に敷設された大量の米軍機雷は奇襲効果を狙い、爆発のタイミングを調節する特殊な設定がされていた可能性が高いことが、専門家への取材で分かった。敗戦直後の一九四五年八月二十八日、七尾湾を往復した木造の連絡船「第二能登丸」は、ほぼ同じコースをたどって折り返した直後に爆発、二十八人の犠牲者を出した。専門家は「いったん安心させておいて強いダメージを与える米軍の心理作戦。疑心暗鬼は敗戦後も続き、能登の海に被害を広げていた」と指摘する。(前口憲幸)

第二能登丸現場 専門家が調査  

 民間施設「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)の研究員大井田孝さん(76)が今夏、専門家として初めて現場を視察。本紙が入手した船会社の事故報告書、七尾湾の海図、戦前の船名録、米軍資料などを分析し、事故当時を再現した。

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 米軍は終戦前の約三カ月間で七尾湾に約四百四十個の機雷を敷設したとされるが、第二能登丸を爆破したのはエンジン音に反応する「音響機雷」だったことも判明。米軍は何回か感知を無視する「カウント」という設定をした後、B29爆撃機から機雷を投下したとみられる。カウントは1〜15のランダムな設定が可能。例えば「5」とすれば四回は無視、五回目に爆発する仕組み。不発弾に見せ掛けたり、掃海作業をかく乱したりする効果がある。

 事故当日、第二能登丸は七尾湾を縦断し、能登島の久美で何人か降ろした。その後、Uターンしてしばらく進んだ後、爆発した。

米軍の音響機雷。これと同型が七尾湾に大量に敷設された。B29爆撃機から投下された直後、底部(左側)のパラシュートが開き、衝撃なく海底へと沈んだ=大井田さん提供

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 生存者や遺族の聞き取りを進めた元教員角三(かくみ)外弘さん(72)=七尾市=の調査によると、第二能登丸は敗戦後に、ほぼ同じ航路を何度も往復していた可能性がある。大井田さんは「周辺海域は水深一五〜一六メートルで音響機雷の反応エリア。カウントが設定されていたのはほぼ間違いない」とみる。

 米軍が全国の港湾で実行した大規模な機雷敷設作戦に触れて「不意を突く時間差の爆破で恐怖心をあおっていた。第二能登丸の爆発事故は七尾湾が米軍の標的だったことを浮き彫りにしている」と説明した。

 米軍による機雷敷設作戦 1945年3月27日〜8月14日、米軍は日本の海上交通を徹底的に遮断する目的で「飢餓作戦」と呼ばれる空前の機雷敷設を実行。出撃したB29爆撃機は延べ1500機を超え、機雷の総数は1万2000個を上回る。日本のシーレーン(海上交通路)は完全に麻痺(まひ)、壊滅的な打撃となった。敗戦後も機雷で爆発する船が相次いだ。

 

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