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観音町 住民の思い 金沢・東山3町会 旧町名復活申請

「旧観音町」と書かれた石碑がある通り=金沢市東山で(篠原麻希撮影)

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「郵便しか使わない」

 金沢市東山の三町会が市に対し、住居表示を旧町名「観音町」に戻すように申請した。金沢では町名の復活運動が盛んだが、そもそも、町名はなぜ変えられたのか。地図をよく見ると、東山の横には今も「観音町三丁目」が残っている。「住居表示」を、あらためて考えた。(草野大貴)

昭和の再編

 浅野川大橋交番前から観音院に向かう通りに面した地区が旧観音町。一六一六年、観音院が卯辰山から現在地に移築され、そう呼ばれるようになった。

 一方、東山は一九六六年、観音町など旧三十三町を再編する形で命名された。「東山は卯辰山の別名」と記した書籍もあるものの、名付けた理由を記した資料は市に残っていない。

 観音町の復活に対し、「ブランド力のある東山を使えなくなるのはショック」(女性店員)などと戸惑いもあるが、祖父の代からの住民で「観一町会」会長の長田淳さん(47)は「『一丁目』といえば今も観音町一丁目を指す。東山は郵便などしか使わない」とその意義を説明する。他に観二町会、観三町会があり、「東山」への変更は、住民の総意ではなかったという。

 町名変更の大きな理由は、経済成長に伴う郵便や物流の増加だ。日本では明治以降、土地登記簿の地番を「住居表示」に使ってきたが、同じ地番の土地に複数の建物があるなどして、郵便配達などで迷うケースが多かった。

 政府は解決に乗り出す。一九六二年に住居表示法ができ、金沢市は「住居表示整備実験都市」に指定された。市は住宅地は六万〜十二万平方メートル、商業地は三万〜九万平方メートルにまとめる方針を示し、六三年、まず平和町など八地区で住居表示をあらためた。

 市は「変更後も町会はそのまま」などと住民を説得し、再編作業を進めていった。では、なぜ、「観音町三丁目」は残ったのか。近所の男性(70)は「役所が適用するのを忘れたらしい」と話す。

 だが、市市民協働推進課の担当者は「住民が反対し、同意を得られなかった」と説明した。確かに住居表示法には「(住民の)理解と協力を得て行うように努める」という規定がある。当時、頑強に反対した人がいたのかもしれない。

 住所にこだわりを持つ人は多い。京都市は住居表示法に基づく変更はせず、古くからの「○○通り西入る」といった独特の住居表示を続ける。東京都日野市なども変更していない。

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運動先駆け

 住居表示の再編でトップを走ったものの、旧町名復活を先駆けて始めたのも、また金沢だった。市制九十年を迎えた七九年以降、旧町名の標柱を設置していくと、住民から旧町名復活の要望が出るようになった。

 九九年に「主計(かずえ)町」が尾張町から独立し、これまでに十一の旧町名が元に戻った。動きは全国に波及し、東京都千代田区や富山県高岡市、長崎市などが後に続いている。

 旧町名復活には市議会の議決が必要で、観音町に戻るのは来春以降になりそうだ。

 

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