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45年戦死 蔵から約100通発見 古手紙から「父の声」

【上】父友七さんの手紙を眺めて「父と話をしたようだ」と語る橋本敏さん=石川県七尾市鍛冶町で(松村真一郎撮影)【下】友七さん(左)と幼少期の橋本敏さん

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 石川県七尾市の男性が、太平洋戦争で戦死した父の手紙に触れ、平和への思いを俳句に詠んだ。「古手紙に発信不明の父の声」。七十年前に亡くなった父の記憶はほとんどないが、男性は「父の声が聞こえるような気がする」と目を細める。(松村真一郎)

七尾・橋本さん 平和の願い俳句に

 同市鍛冶町の元国鉄職員橋本敏さん(80)。本紙「平和の俳句」が昨年末で終了することを知り、同年十月にこの一句を詠んで投稿。十一月選考会の対象作になった。

 二〇一六年夏から、自宅にあった父友七(ともしち)さんの手紙約百通を三カ月かけて整理し、旧日本軍に召集されてから家族に宛てた約二十通を確認。これらの手紙は蔵の中から紙に包まれている状態で見つけた。

 押印で確認できる年代は一九三二〜四四年。その間、友七さんは三回にわたり、中国大陸やフィリピンに出征した。日中両軍が衝突した上海事変(三二年)直後には、進撃する日本軍が描かれたポストカードを、中国・上海から送った。

 太平洋戦争時で年代を確認できる最後の手紙は、四四年五月に富山市から送られた計十一枚の便箋。同市で戦地派遣の待機をしていたと思われる。

 七尾駅で旗を手に出征を見送った敏さんや妹の啓子さん(77)に「声をかけなかつた事が残念でたまりません」とつづり、敏さんには「シツカリベンキヨシテ、エライ人ニナルノデスヨ」と、助言する父の思いが表れている。

 だが、友七さんはこの手紙をしたためた一年後の四五年五月、フィリピン・ルソン島で、三十四歳で戦死。当時、敏さんは七歳だったため、顔は覚えていないという。

 約七十年たって、手紙を見つけた敏さんは「直接会って、話をしたような感じがする」と、亡き父の手紙を見つめる。手紙は年代別にファイル七冊にまとめ、大阪府に住む啓子さんにも一部を送った。

 自身も戦時を生きた一人として、「父を亡くしたことを、子どもの時は心に重く感じていた」と振り返りながら、国際的な緊張が高まる中で「戦争は絶対に起こしてはならない」と力を込める。

 

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