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【読書De討論】石川県金沢市鳴和中2年 茨木のり子集「言の葉」から三つの詩を読んで

「茨木(いばらぎ)のり子集(しゅう)・言(こと)の葉(は)」を読(よ)んで話(はな)し合う生徒(せいと)たち((左)から長谷川(はせがわ)さん、赤間(あかま)さん、石丸(いしまる)さん、坂野(さかの)さん)=石川県金沢(けんかなざわ)市鳴和(なるわ)中学校で

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 今回(こんかい)は、本を読(よ)んで感想(かんそう)を話(はな)し合(あ)う「読書De討論(どくしょデとうろん)」をお届(とど)けします。石川県金沢(けんかなざわ)市鳴和(なるわ)中学校二年の生徒(せいと)たちに現代詩人(げんだいしじん)、茨木(いばらぎ)のり子さんの詩集(ししゅう)「言(こと)の葉(は)」の中から「癖(くせ)」「自分(じぶん)の感受性(かんじゅせい)くらい」「知命(ちめい)」の三つの詩(し)を読(よ)んでもらいました。作品(さくひん)を生徒たちはどう感(かん)じたのでしょうか。

今回の論点(ろんてん)

・三つの作品(さくひん)の中で感銘(かんめい)を受(う)けたのはどれか。印象(いんしょう)に残(のこ)った部分(ぶぶん)はどこか。

・「自分の感受性(かんじゅせい)くらい」に出てくる「感受性」とは何(なに)か。

・茨木(いばらぎ)さんの詩の魅力(みりょく)は何だろう。

参加者

坂野(さかの)里紗(りさ)さん

石丸(いしまる)隼丞(しゅんすけ)さん

赤間(あかま)彩花(あやか)さん

長谷川(はせがわ)玄(げん)さん

「茨木(いばらぎ)のり子集(しゅう)・言(こと)の葉(は)」(ちくま文庫(ぶんこ))

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人との関わり気付く

 −三つの詩(し)の中でみんなはどの作品(さくひん)に感銘(かんめい)を受(う)けたか。印象(いんしょう)に残(のこ)ったところはあるか。

 坂野(さかの) 私(わたし)は「自分の感受性(かんじゅせい)くらい」が好(す)きだ。詩を読んでみると、両親(りょうしん)や友人(ゆうじん)に対(たい)して、ふだんの私の言動(げんどう)や振(ふ)る舞(ま)いに、「もっと気を使(つか)いなさい」と言ってくれているよう。

 長谷川(はせがわ) 僕(ぼく)もこの詩が気に入った。「ぱさぱさに乾(かわ)いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠(おこた)っておいて」の部分(ぶぶん)が特(とく)にいい。「自分の心」を「土」に置(お)き換(か)え、「水やりを怠るな」と。心に響く。

 赤間(あかま) 私は「知命(ちめい)」がいいな。「小包(こづつみ)の紐(ひも)」「こんがらかった糸(いと)の束(たば)」。これらの言葉(ことば)は、複雑(ふくざつ)で難解(なんかい)な問題(もんだい)を象徴(しょうちょう)。それを解決(かいけつ)するために仕方(しかた)なく手助(てだす)けしている「私(わたし)」。そのうち、「私」にもさりげなくいろんな人の支(ささ)えがあることを知(し)る。作者(さくしゃ)の工夫(くふう)と繊細(せんさい)さがうかがえる。

 石丸(いしまる) 僕は「癖(くせ)」かな。小学校を卒業(そつぎょう)するとき、女のいじめっ子から渡(わた)された小さな紙片(しへん)。「ワタシハアナタガ好キダッタ オ友達(ともだち)ニナリタカッタノ」。驚(おどろ)きとうれしさ。明日(あした)からもう会えなくなるのに。作者の心の葛藤(かっとう)が浮(う)き出ている。

感受性守って前向きに

 −「自分の感受性くらい」の詩にある「感受性」とは何だろう。

 赤間 感受性とは、外から刺激(しげき)を受けたときの気持(きも)ち、受け取(と)り方と思う。感受性を大切にしないと、正(ただ)しく考えることができないし、物事(ものごと)のとらえ方も誤(あやま)ってしまう。

 長谷川 「初心消(しょしんき)えかかるのを 暮(くら)しのせいにはするな」「駄目(だめ)なことの一切(いっさい)を 時代(じだい)のせいにはするな」の部分が忘(わす)れられない。うまくいかなくなると、僕は、家庭環境(かていかんきょう)が悪(わる)い、社会や学校(がっこう)が悪いと、愚痴(ぐち)ってしまう。感受性があると、「周(まわ)りのせいじゃなくて、自分が悪い」と思う。

 坂野 感受性がないと、マイナス思考(しこう)になり、何でも悪く考えてしまう。感受性があると、プラス思考で前向(まえむ)きに考え、良(よ)い方向(ほうこう)へ進(すす)む。だから感受性を守(まも)りたい。

 石丸 自分の持(も)っている精神(せいしん)や信念(しんねん)みたいなものを大事(だいじ)にする。他人(たにん)に流(なが)されず、主体性(しゅたいせい)をもつ。それが感受性。

短い中に真実ちらばる

 −茨木(いばらぎ)さんの詩の魅力(みりょく)は何だろう。

 石丸 「知命」の詩に「ある日 卒然(そつぜん)と悟(さと)らされる もしかしたら たぶんそう 沢山(たくさん)のやさしい手が添(そ)えられたのだ」が心を打(う)った。サッカー部(ぶ)のゴールキーパーをしている。守備(しゅび)の手助けがいるし、攻撃(こうげき)も必要(ひつよう)。気付(きづ)かないうちに「沢山の手」に守られている。詩を読んで実感(じっかん)した。

 赤間 私も仲間(なかま)と意見(いけん)が食(く)い違(ちが)うことがある。自分の意見を押(お)し通さず、仲間の意見も受け入れると、うまくいく。人と優(やさ)しく接(せっ)することが大切だ。

 長谷川 茨木(いばらぎ)さんの詩は、表現がとてもわかりやすい。短(みじか)い言葉の中に、心に残る言葉や真実(しんじつ)がちらばっている。

 坂野 人間は自分だけで生きていると思っている。でも、本当は一人では生きられない。これからも学校や社会でずっと人と関(かか)わって生きていくだろう。茨木さんの詩はそれを気付かせてくれる。

 (構成(こうせい)・浦上豊成(うらかみほうせい))

自分の感受性(かんじゅせい)くらい

ぱさぱさに乾(かわ)いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠(おこた)っておいて

気難(きむず)かしくなってきたのを

友人(ゆうじん)のせいにはするな

しなやかさを失(うしな)ったのはどちらなのか

苛立(いらだ)つのを

近親(きんしん)のせいにはするな

なにもかも下手(へた)だったのはわたくし

初心消(しょしんき)えかかるのを

暮(くら)しのせいにはするな

そもそもが ひよわな志(こころざし)にすぎなかった

駄目(だめ)なことの一切(いっさい)を

時代(じだい)のせいにはするな

わずかに光(ひか)る尊厳(そんげん)の放棄(ほうき)

自分の感受性くらい

自分で守(まも)れ

ばかものよ

 茨木(いばらぎ)のり子集(しゅう)・言(こと)の葉(は)  大阪(おおさか)市生まれの詩人(しじん)、茨木のり子さん(1926年−2006年)の詩(し)とエッセーなど集めた自選作品(じせんさくひん)集。茨木さんは、1953年、詩学研究会(しがくけんきゅうかい)に投稿(とうこう)していた川崎洋(かわさきひろし)さんと詩誌(し)「櫂(かい)」を創刊(そうかん)。詩集(ししゅう)に「見えない配達夫(はいたつふ)」「鎮魂歌(ちんこんか)」「自分の感受性(かんじゅせい)くらい」「寸志(すんし)」などのほか、エッセー集に「詩のこころを読む」「一本の茎(くき)の上(うえ)に」などがある。「言の葉」は、しなやかに凜(りん)と生きた茨木さんの人生(じんせい)の足跡(そくせき)をまとめた。

 

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