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【わたしと新聞】内木友美(下) “物知り友人”の言葉

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 高校生の頃(ころ)は新聞部(しんぶんぶ)に所属(しょぞく)していた。そんな話をすると、「どうして新聞記者(きしゃ)になろうと思わなかったの?」と聞かれることがある。しかし、高校生の私(わたし)は何となく怖(こわ)かった。新聞は社会で起(お)きた出来事(できごと)を伝(つた)えるものだが、伝えられる内容(ないよう)はあくまで新聞社の人たちによって編集(へんしゅう)されたものである。どの情報(じょうほう)を記事(きじ)にして、どの情報を削(けず)るのか。そうした判断(はんだん)が記事を作るので、記事になっている情報には必(かなら)ずそれを発信(はっしん)する人の意図(いと)が反映(はんえい)している。そう考えると、新聞を作るという仕事(しごと)には、大きな責任(せきにん)が潜(ひそ)んでいる気がした。

 だが、読者(どくしゃ)の側(がわ)から考えると、新聞のそうした面(めん)は決(けっ)して悪(わる)いものではない。新聞社の人の手を経(へ)ることにより、難解(なんかい)な出来事が簡潔(かんけつ)に整理(せいり)される。自分ではわからなかったニュースも、新聞の解説(かいせつ)を読んで「なるほど」と理解(りかい)できる。新聞は、知らないことを教えてくれる友人(ゆうじん)でもある。

 教育(きょういく)の現場(げんば)では、複数の新聞を比(くら)べ読みすることを推奨(すいしょう)している。誰(だれ)がどんなことを考えて、この記事を書いたのか。新聞をただの紙ではなく、人の言葉(ことば)として読む。それによって、社会を見る目が広がっていくのだ。(うちき・ともみ 石川県金沢(けんかなざわ)市犀生(さいせい)中学校)

 

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