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挑戦 北陸財界ものがたり

北陸銀行(4) 道銀と統合の大決断

記者会見後、握手を交わす高木北陸銀頭取(左)(当時)と堰八道銀頭取=富山市の北陸銀行本店で

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 二〇〇三年五月二十三日夕、富山市の北陸銀行本店の記者会見場には緊張感が充満していた。この日朝、本紙などが「北陸銀と北海道銀が経営統合へ」という衝撃的なニュースを報じていた。「北陸銀はいったいどうなるのか」。駆け付けた多くの記者はそう考えていた。

 「縮小傾向にばかり陥っていては将来展望は開けない」。姿を現した頭取(当時)の高木繁雄は北海道銀と共同で持ち株会社を設立し統合することを明らかにした。

 一九九〇年代初めのバブル崩壊で山一証券などの破綻が相次ぎ、金融危機が表面化。多額の不良債権を抱えた北陸銀は九八年、九九年に公的資金を受け入れ、「地銀の雄」というプライドをかなぐり捨て、経営の立て直しを進めた。二〇〇二年六月にトップになった高木は地域戦略を見直し「改革」の道筋を探った。

 北陸銀と北海道銀を傘下に持つほくほくフィナンシャルグループ(FG)が発足したのは〇四年九月一日。北陸銀本店で記者会見した高木は北海道銀頭取の堰(せき)八義博と握手した。「ほかに例を見ない広域地銀グループの誕生です」と胸を張った。地銀の広域再編の先駆けだった。

 統合から十年を経て高木が当時の心境を語る。「赤字だった東京、大阪、名古屋地区の店を半分にしたが、北海道をどうするか非常に悩んだ」。歴史的なつながりが深く、二十店舗以上を展開していた北海道からの撤退は頭になかった。地銀はその地域にあってこそ。都市銀行のような合併でなく、統合を選んだ。「地区戦略をつぶさに見ていく中での大決断だった」

 「弱者連合」「金融庁の圧力」。統合は守りだけでなく将来の攻めだったが、批判や疑問の声は少なくなかった。北海道銀にも公的資金が入っていたからだ。高木は「うがった見方でマスコミから攻撃されて悔しかった。それをバネに私も堰八氏も『なにくそ』と燃えた」と振り返る。ほくほくFGが二行の公的資金計千四百億円余を約一年前倒しで〇九年夏に完済したのはそうした反発心もあった。

 高木は一三年六月に頭取を退き、特別顧問になった。頭取は庵(いほり)栄伸が引き継ぎ、復活した会長職に麦野英順(ひでのり)が就いた。

 統合という高木の選択は正しかったのか。「何をもって成功というか難しい。しかし、今の超低金利下での地銀再編の状況を見ると、方向性は正しかったのではないか。評価は次代(庵、麦野両氏)がきっと出してくれる」

 日本各地では今、ほくほくFGの後を追うように経営統合による広域地銀グループの発足が相次いでいる。

        (敬称略)

 

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