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挑戦 北陸財界ものがたり

北陸銀行(2) 北前船の縁 支店開拓

北陸銀行の取締役会=北陸銀行十年史から

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 「郷土の銀行にぜひ、店を出してもらいたいと運動し、富山にも一度出掛けて中田頭取に面会し、お願いした」。北陸銀行創業百年史は一九〇七(明治四十)年に十四歳で単身、北海道に渡った能登作次郎の話を紹介している。当時、深川の富山県人会副会長として十二銀行旭川支店深川派出所開設を中田清兵衛(十四代)に働き掛けた。北陸銀行が遠く離れた北海道に支店を展開できた背景には、現地での富山県出身者の支援が大きかった。

 北陸銀行の前身、十二銀行(本店・富山市)は一八九九年十月、北海道小樽市に支店を開設した。バブル崩壊後に破綻した北海道拓殖銀行の開業より約六カ月も早かった。この後、大正時代にかけ札幌、旭川、函館、帯広などへ支店網を広げていく。同じく前身の中越銀行も一九一二年七月の小樽支店を皮切りに旭川、深川へと支店網を拡張する。当時、道外から進出した銀行は本店を東京に置くケースがほとんど。遠い本拠地から進出し多くの支店を持った地方銀行はほかになかった。

 百年史の対談で中田清兵衛は「(北海道は)預金より貸出金が多かった時代がずいぶんありました。金利も富山県より高く相当利益があった」と振り返る。ピーク時の二六年には十二銀行の総預金と総貸出金の約四割を北海道が占めていた。

 北陸と北海道の結び付きは江戸時代に始まる。北陸の北前船によって日本海回りで関西や北陸のコメ、雑貨などの物資を北海道へ、北海道からはニシン、昆布などを本州各地へ運んだ。

 明治時代初め、北海道開拓を目指す政府が移住を促すと、北陸から北海道を目指す人が増える。北陸銀行の創業百年史によると、一八九二年から一九二一年までの三十年間の移住者百八十九万人のうち、新潟を含む北陸からの移住者が全体の約三割を占め、東北の四割に次いだ。一八九九年から十年間では移住者数は富山が六万人余りで全国一位、新潟の二位に次いで石川は三位だった。

 相次ぐ水害や干ばつなどに苦しんだ農民のほか、明治維新で収入を断たれた士族、新たに開かれた漁場に仕事を求める漁業者も増えた。江戸時代から北海道に渡っていた富山の売薬商が、現地の情報を北陸に伝えていたことも大きかった。

 石川県から移住した人の中では北海道の将来性に着目した北前船主を中心にした商人が函館や小樽で海産物やコメを扱い、倉庫業などを営んで活躍した。北陸出身者の働きぶりは信頼を集め、高い信用を得た。

 十二銀行の中田に依頼して深川への派出所開設を実現した能登作次郎は北陸銀行創業百年史で「富山の出身者で北海道で成功した人はたくさんいますが、ともかくよく働きました。山師みたいなもうけ方は下手なんですが、朝は五時から夜遅くまで日曜祭日もなく皆、こつこつ働いたものです」と述懐している。 (敬称略)

 

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