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挑戦 北陸財界ものがたり

大和(7) 香林坊再開発の核に

華やかにオープンした「香林坊アトリオ」

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 「新生大和の第一歩。新しい心で努力してほしい」。一九八六(昭和六十一)年九月二十日午前八時、大和社長(当時)の宮太郎は、集まった社員やグループ十八社の代表ら八百人を前に檄(げき)を飛ばした。大和の新本店「香林坊大和」をキーテナントに完成した金沢市香林坊の再開発ビル「香林坊アトリオ」の出発の日だった。

 午前十時の開業前から買い物客が列をつくった。雨にもかかわらず正午までに五万人の買い物客が訪れ、初日の延べ来店者数はアトリオ全体で約二十六万人。石川県内だけでなく富山、福井などからも客が駆けつけた。香林坊大和の売り上げは初日、史上最高の三億二千万円を記録した。

 総事業費二百三十億円を投じた再開発ビルは地下三階、地上九階一部十階建て、商業床面積は三万二千二百五十平方メートル。地下二、三階は駐車場、地下一階から地上四階が専門店フロア。香林坊大和は地下一階から地上九階に入った。売り場面積二万七千五百平方メートルは当時、百貨店では日本海側最大だった。

 一帯の再開発は六三年九月、石川県が策定した香林坊商店街近代化計画に始まる。六七年十月には防災建築街区の指定を受けた。香林坊第二地区となった香林坊交差点の北東角は一階が商店、二階が住宅という木造の「げた履き住宅」が多く立ち並んでいた。再開発で核になるテナントを募り、買い物客を呼び込もうとの狙いだった。しかし大手百貨店などが出店を表明しながら撤退。再開発計画は中断を余儀なくされる。

「アトリオ」のテープカットをする宮太郎大和社長(左から2人目)ら=いずれも1986年9月20日、金沢市香林坊で

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 動きだしたのは八〇年十一月。市街地再開発準備組合が設立され翌八一年七月、事業の企画、調整を県に一任する要望書を提出する。県の要請を受け出店を決断したのが大和社長の宮だった。香林坊に近い片町には創業地の本店もあったが八月、キーテナントとしてビルへの入居を決めた。

 事業は香林坊第二地区市街地再開発組合と、組合から事業を委託されたデベロッパーの金沢都市開発会社が担った。金沢都市開発の元取締役で再開発組合の副理事長も務めた岩本誠之(74)=金沢市=は「再開発が実現できたのは、宮さんが大和出店を決断したことが大きい」と強調する。県庁の会議室へ入ってきた宮があいさつもそこそこに「駐車場がないところには出んぞ」と言ったことを覚えている。存在の大きさを感じたという。

 岩本は、率先して自分の甘味店「千登世」を取り壊すなど事業推進に力を尽くした。土地、建物など権利が複雑に入り組む中、権利を持つ人から「あんちゃんの言うことなら信用する」と言われ、信頼関係の重要性を認識した。「いろいろあったが、再開発事業は多くの人の力で成功した」と振り返る。特に県が前面に立ち協力してくれたことが権利者の信頼につながり、事業が進んだ大きな要因と考えている。

 二三(大正十二)年十月の創業以来、大和の本店だった金沢市片町の建物は複合商業ビル「ラブロ片町」となった。そのラブロも二〇一四年三月に閉店。取り壊した跡地一帯で一六年五月完成を目指し、再開発ビルの建設が進む。 (敬称略)

  大和編おわり

  (この連載は編集委員・飯田安彦が担当しました)

 

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