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挑戦 北陸財界ものがたり

大和(6) 非常時こそ筋を通す

全焼した大和新潟店=「大和五十年のあゆみ」から

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 「みんな無事か」。大地震発生の電話に井村徳二はまず、聞いた。「一刻も早く調べて報告してくれ」。一九四八(昭和二十三)年六月二十八日午後四時十三分、福井県北部を震源とする地震が福井市などを襲う。市中心部にあった大和福井店は六階の床が五階に落ちる。従業員大会のため百二十五人全員が六階食堂に集まっていた。店員は折れ曲がった食堂の鉄製煙突を伝って屋上へ逃げ、避難階段を使い地上に下りた。火が移り、全館を焼いたのはその直後だった。

 重傷二人、軽傷数人。「井村徳二伝」は福井地震の発生を生々しく描く。四五年七月の戦災から復旧して三年しかたっていなかった。当時、衆院議員として東京にいた井村は内閣に設けた震災対策本部に詰め、被災地の支援に当たる。

 「なんて情けないことを言う。慣例をたてに利につくことは恥だ」。井村は一喝した。被災後の福井店の復旧対策を話し合う幹部の会合だった。「火災保険ですら天災だといって支払わない。焼けた商品の金も払う必要はない」「業界では焼失商品の支払いは全部棚上げが慣例。半額で十分だ」。そう主張する幹部らを井村は叱った。

 「日ごろ多くの問屋さんに協力いただいている。非常時にこそ筋の通った処置をとり焼失商品は苦しくとも必ず全額支払うこと。貧すれば鈍すると古人が戒めているのはこのことだよ」。井村は静かに諭した。

 七年後の五五年十月一日未明、新潟県庁から出た火は強い風にあおられて燃え広がり、市中心部の千百戸を焼き、大和新潟店も全焼する。東京にいた井村は新潟に直行。焼け出された千二百世帯の避難先を調べ、一軒一軒に見舞いの箱入りタオルを届けさせた。

 井村はすぐにも店を開き、市民の生活に役立つことこそ百貨店の使命だと従業員にげきを飛ばす。全員がもっこを担いで焼け跡の整理から始め十日後、一階だけだったが営業を再開した。焼けた商品の仕入れ代金はやはり全額を支払えと命令。感激した取引先が生活必需品を安く提供したことで一階売り場は商品であふれ、被災した市民を喜ばせた。

 福井店のほか、富山店も空襲で全焼した。富山店では爆撃から店を守ろうとした支配人や食品部長ら十人が犠牲になった。朝鮮半島北部にあった清津店も四五年八月十二日に街がソ連(当時)軍の艦砲射撃を受ける。従業員は全員日本に引き揚げたが、店のその後は分かっていない。 (敬称略)

 

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