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挑戦 北陸財界ものがたり

大和(3) 次々と店舗 北陸制覇

第1次増築後、1934年の富山店=「大和五十年のあゆみ」から

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 一九三二(昭和七)年十一月十日、宮市大丸の井村徳二は富山市中心部の西町に富山店をオープンさせる。これが北陸制覇への第一歩だった。しかし、富山店開業への道のりは険しかった。井村は市中心部の総曲輪にあった地元の岡部百貨店から持ち込まれた買収話を受けて進出を決めた。だが、商店などから反対運動が起き、立ち消えになる。次いで進出先の候補に挙がったのがやはり市街地の西町の土地だった。

 西町でも土地の買収を終えたところで地元商店などから反対の声が上がる。大和の社史「大和五十年のあゆみ」は商店主らが宮市大丸進出阻止期成同盟会を結成し県や市に陳情。むしろ旗を立て二百人余りが市内をデモ行進する騒ぎになったと伝える。井村が富山店の建設工事を始めると反対運動は激しさを増す。「金沢の資本が富山の金を奪っていく」などと書いたビラを配り、金沢にも出掛けて石川県庁や市役所に進出阻止を陳情した。

 しかし、政財界の一部から「富山にもデパートがあっていい」「商店にも将来はプラスになる」などの声が出始める。反対の動きも次第に収束。大和の社史は、富山店開店に向けた女性店員四十五人の募集に五百五十人を超える応募があったことを紹介している。女性の職場がまだ少なかったころ、デパート勤めは花形だった。

 次いで井村は福井に目を向ける。福井には地元百貨店「だるま屋」があった。出店しても対抗できると考えた井村は富山での反対運動の経験もあり、慎重に計画を進める。三六年十二月、地元感情に配慮して店名を「福屋」にした新会社を発足させる。市中心部に鉄筋コンクリート六階建てビルを建て開業した。軌道に乗ったところで合併し三七年九月、宮市大丸福井店とした。

 宮市大丸が提携した丸越百貨店も三七年四月、富山県高岡市への進出を果たす。丸越は新潟市で地元資本が設立しながら開業半年で大赤字を出した万代百貨店も引き受け三九年九月、丸越新潟支店とした。宮市大丸は四〇年十二月、朝鮮半島北部の港町、清津に現地の要請を受けて店を開き、大陸へも進出する。

 三年後、宮市大丸と丸越が合併し「大和」が誕生する。大和は金沢、武蔵、富山、高岡、新潟、福井と北陸四県すべてに店を持ち、朝鮮半島の清津と合わせ七店舗を擁する日本海側最大の百貨店となった。 (敬称略)

 

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