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挑戦 北陸財界ものがたり

大和(2) 地元密着 強敵に対抗

武蔵ケ辻に進出した三越金沢店=「大和五十年のあゆみ」から

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 「私の百貨店生活で幾度か緊張を極める時があったが、あの三越来たるの際に全店にみなぎった緊迫感は実に最高だった。緊張を通り越し悲壮なものだった」。後に大和の副社長を務める上田正二(故人)は「井村徳二伝」の中で回想した。三越金沢店が金沢市武蔵ケ辻にオープンしたのは一九三〇(昭和五)年十一月九日。東京の有名資本の金沢進出は、宮市大丸の井村徳二にとって創業以来の危機だった。

 三越金沢店は入り口からずらりと高価な貴金属類を陳列。呉服や家具など高級品を豊富にそろえ、開店から買い物客が殺到した。売り場は身動きできないほどのにぎわいを見せる。一方、宮市大丸は開店しても客の姿は少なかった。

 しかし、午後になると様子が変わる。三越で客は豪華な品々に目を見張った。が、進んで買おうとはしなかった。三越を出たその足で宮市大丸の売り出しへと向かう。三越にもまさる人気を集め宮市大丸のこの日の売り上げは創業以来の数字を記録、店員全員に大入り袋が配られた。

1923(大正12)年の宮市百貨店=写真集「石川百年」より

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 そこには井村の戦略があった。三越は高級品を中心に展開してくるに違いない。宮市大丸はあくまで「明るく安い」をモットーに、やはり地元には地元の百貨店といわれるよう、できる限りの親切なサービスで市民の心をつかむ−。井村は社内の対策会議で社員に示していた。

 三越金沢店開業の二年前、金沢の老舗茶商で政治家の林屋亀次郎が金沢市武蔵ケ辻にビルを建て百貨店を経営するといううわさが広がった。実際に林屋は鉄筋五階建てのビルを建て始める。調べると林屋は京都の百貨店・大丸と交渉していることが分かった。

 大丸と提携していた宮市百貨店の井村は驚き、大丸の下村正太郎社長(当時)に出店中止を申し入れる。計画を知らなかった下村は担当幹部に計画中止を言い渡す。次いで林屋が提携相手に選んだのが東京の三越だった。この後、井村と話し合った下村は支援を申し出る。宮市百貨店は大丸と正式に提携し三〇年八月、折半出資で新会社「宮市大丸」を発足させた。三越金沢店開店の三カ月前だった。

 三越との五年のビル賃貸契約が切れると、自身での百貨店経営を目指した林屋は再契約せず三越は引き揚げる。新たな百貨店で宮市大丸と競争すれば共倒れすると考えた林屋は宮市大丸に提携を提案。井村は林屋の負債を肩代わりして受け入れる。三五年九月、丸越百貨店が創業。林屋のビルで店を開く。

 井村が三越との激戦を繰り広げていた三二年三月十四日、父、徳三郎が亡くなる。入院を前に徳三郎は「今、三越を見てきた。君らが正しきを履(ふ)んで怖(おそ)れず、真剣に頑張れば必ず勝つ」と社員を励ました。徳三郎が信条にしてきたこの言葉は、店祖遺訓として受け継がれてゆく。 (敬称略)

 

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