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挑戦 北陸財界ものがたり

コマツ(3) 米の巨人を迎え撃つ 

(A)対策で陣頭指揮をとる河合良成社長(当時)=コマツ提供

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 「コマツのブルドーザーは最高だ。あれほどの取り組みをやったのだから」。コマツ元専務執行役員生産本部長の釜谷正敏(72)=石川県小松市=は一九九六年ごろ、粟津工場長に就任したあいさつのため訪ねた建設会社で、対応した役員に言われた言葉が忘れられない。

 役員はコマツOB。戦後、米・キャタピラー社の日本上陸を迎え撃つため全社挙げて取り組んだ(A)(マルエー)対策でブルドーザーのテストを担当した。毎日、石川県白山市の手取川の河原で朝から晩までブルドーザーを動かす。岩や大小の石が転がる場所で一日のテストを終え、運転席を降りると腸が下がっていた。

 夜、粟津工場に帰り「異常はありませんでした」と報告書に書くと厳しく叱られた。「何のためにテストしているんだ。なぜ壊さなかった。壊すくらい乗って異常を見つけろ」。暗い夜道を河原に戻り、テストを繰り返したという。「いい話だと思った。生産、設計、検査。それぞれの部門が大変な努力をしてブルドーザーができた」。釜谷は振り返る。

 キャタピラー・トラクター社(現キャタピラー)の日本上陸。それは六一年四月十九日、東京・羽田に降り立った同社の視察団に始まる。当時、キャタピラー社は世界建設機械の売り上げ世界一を誇るマンモス企業だった。小松製作所(当時、現コマツ)をはじめ、日本の建設機械メーカーがこぞって技術提携を申し込んでいた。

 一行は各社を訪問し工場を視察した。しかし、各社への訪問は表向きのポーズにすぎなかった。河合良成社長(当時)に情報が入る。「目指しているのは技術提携ではなく資本進出。キャタピラーそのものの販路拡張だ」。日本の市場獲得だけでなく、日本で造った機械を世界に売り込むことを目指していた。キャタピラーの建設機械が入れば日本企業はひとたまりもない。「小松は三年でつぶれる」とささやかれた。

 六二年六月、キャタピラー社が新三菱重工業(現三菱重工業)との合弁会社設立を国に申請すると、河合は国内メーカーを結集して猛烈な反対運動を展開する。通産省(当時)に抗議文も出す。だが反応は冷たい。「日本のメーカーはとうていキャタピラーの品質に及ばない。あきらめなさい」

 だが河合は決意していた。戦うよりほかにない。激しい反対運動は河合の戦略でもあった。キャタピラー社の合弁会社が生産を始める前にキャタピラーの車を上回る品質のブルドーザーを造る。そのための時間稼ぎ。キャタピラーの視察団が来日した四カ月後には既に(A)対策をスタートさせていた。 (敬称略)

 

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