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挑戦 北陸財界ものがたり

YKK(4) 材料追究 アルミ開発

展示されている名古屋市のモード学園スパイラルタワーズのアルミ製カーテンウオール=富山県黒部市のYKKセンターパークで

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 「これはだめだ」。時代が昭和から平成に移るころ、富山県黒部市のYKK黒部事業所。表面処理と着色を終えたアルミ建材が流れていくラインで思わず声が出た。ある部分から突然、色がくすみ始めていた。

 当時、表面処理技術室長だった吉崎秀雄(68)=現YKK AP副会長=は微妙な色の変化を見逃さなかった。次の工程で手直しすることもできたが吉崎は「後で対応していては技術は築けない」と材料にこだわり、前工程へ前工程へとさかのぼって原因を追究。わずかな水素ガスが混入したことを突き止めた。

 戦前、戦時統制でファスナーに銅が使えなくなり創業者の吉田忠雄は軽くて安いアルミに着目。一九三八(昭和十三)年に世界でも類を見ないアルミ製ファスナーを発売する。しかし、当時のアルミ合金は材質が弱く、間もなく製造を中止する。

 吉田はアルミへの執念を捨てていなかった。戦後の五〇年、朝鮮戦争が起き銅の価格が高騰するとアルミの研究を再開。目指したのはアルミに5・6%のマグネシウムを配合した合金「56S」の自社生産だ。米国にあった56Sは耐久性に優れ、ファスナーに最適だった。

 国内の金属専門メーカーなど数社に依頼したが使える合金は簡単にはできなかった。56Sは圧延も難題。塊から延ばそうとすると割れる。富山大をはじめいくつかの大学との共同研究でようやく圧延に成功し量産体制に入ったのは五八年三月。研究再開から八年たっていた。

 「56Sの圧延がうまくいかなかった時、吉田社長に報告に行くとなぜなんだ、と厳しく叱られた」。当時入社二年目の若狭信男(元YKK AP専務)は社内誌で振り返る。

 意気消沈して引き下がろうとすると呼び止められた。「君のような若い社員に社運を懸けた仕事を任せる会社がほかにあるか。期待しているからだよ」。若狭は吉田のこのひと言に支えられる。

 56Sはさらに押出製法が導入され五九年十月、富山県黒部市の生地工場(現在の黒部工場)にアルミ溶解工場とアルミ合金押出工場が完成した。

 「周辺設備も含め、56Sをファスナーに使うところに挑戦があった」。吉崎は力を込める。「吉田忠雄創業社長は、ものづくりにおける材料の重要性を教えた」。56Sで培った技術はアルミにマグネシウム、シリコンを加えたより押出性・着色性の良いサッシ用アルミ合金「63S」の開発へとつながっていく。  (敬称略)

 YKKとYKK AP スライドファスナーなど「留める」「つなぐ」ものを扱うファスニング事業はYKKが、住宅の窓やドア、ビルの外装(ファサード)といったAP(建材)事業はYKK APが担う。YKK APは1957(昭和32)年に吉田工業(現YKK)の輸出を担当するため設立された吉田商事が前身。61年、アルミ室内建具の生産、販売を開始。90年、YKKアーキテクチュラルプロダクツ、2002年に現在のYKK APに社名を変更した。

 

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