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挑戦 北陸財界ものがたり

YKK(3) 道切り開いた技術陣 

スライダー順送り機が並ぶ工場内部=1961年ごろ、富山県の黒部工場(現黒部牧野工場)で(YKK提供)

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 「いま一歩で完成という時になってちょっと食い込む。ちくしょう。目頭が熱くなって何かを投げ付けたくなった」。ようやくできたと思った最後の最後に失敗した金型作り。当時の悔しさを袋井武夫(元専務、故人)は社内誌の座談会で振り返った。

 国産のチェーンマシン(ファスナー自動植付機)が一九五三(昭和二十八)年に本格的に動きだすと、新たな問題が浮かび上がる。銅合金の板から務歯を打ち抜く金型作りとスライダー作りがチェーンマシンの能力に追いつかなくなっていた。

 機械の性能を左右する金型作りは当時、熟練社員の腕が頼り。硬い金属から金のこ一本で金型を切り出しヤスリで仕上げる。わずかな誤差も許されない。「寸法がまあまあだと思うと真ん中が高くなっている。直角にするのが大変。そのうち右手の皮と肉が別々に感じてくる」。袋井は大きな水ぶくれを針で破いて包帯で巻き、作業を続けた。この経験を基に研究を重ねた袋井らは精密研磨盤を完成させ、金型製作を機械化する。

 金型、スライダー製作機などの技術開発に取り組んだのが袋井と江幡博幸(元専務・故人)を中心とする技術陣。ほかに参考になる例もなく、独自に切り開くしかなかった。

 スライダーはファスナーの品質を決める重要部品。一個作るのに十三もの工程が必要だった。袋井と江幡はスライダーを作るプレス機を徹底的に研究。それぞれ別のプレス機が担当していた工程を一台のプレス機の中で処理する機械の開発に成功する。完成した自動スライダー製作機は五三年六月に稼働。これによりファスナー生産は月産五百万本を突破した。

 八七年から江幡のもとで技術開発に取り組んだYKK AP取締役の金山幸雄(67)にとって江幡は「眼鏡の奥からにらまれると縮み上がった」ほど怖い存在だった。会議でも「それは違うんじゃない」とぼそっと、しかし的確に指摘するのが江幡。翌日、指摘した相手に必ず声を掛ける江幡の姿を金山は覚えている。

 江幡は技術情報の重要性も強調したという。金山は「袋井、江幡の二人が人材を育てたのは大きな貢献。機械開発の袋井、技術開発の江幡が車の両輪になって現在のYKKの事業の基礎を形づくった」と考えている。 (敬称略)

 

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