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挑戦 北陸財界ものがたり

YKK(2) 日米の品質差に衝撃

工場で稼働する輸入したチェーンマシン=1950年ごろ、富山県の魚津工場で(YKK提供)

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 一九四七(昭和二十二)年七月、一人のアメリカ人バイヤーが東京・馬喰町の営業所に吉田忠雄を訪ねてきた。輸出再開を目指していた吉田は幅五ミリ、長さ十インチのファスナーを一本九セントで売りたいと持ち掛けた。バイヤーは一笑に付す。自分の製品なら七セント四〇で売るという。見本を見て言葉を失う。吉田のファスナーとは比べものにならない優れた品質だった。

 「ファスナーに心があったら、わが身のぶざまさに冷や汗をかくに違いないシロモノが九セント。穴があったら入りたいとはこのこと」。衝撃の大きさを吉田は自伝に書いている。

 戦争の間にあまりに広がった日米の技術格差。吉田はアメリカの優秀な機械を輸入するしかないと確信した。業界として対応すべきだと同業者の説得を始めた。二年間、説き続けたが「手先の器用な日本人の手作りで十分」「巨額の投資をして失敗したらどうする」。反応は冷たかった。

 自分一人でやるしかない。そう決めた吉田は五〇年七月から九月にかけてアメリカからチェーンマシン四台を輸入する。ファスナーのかみ合わせの部品(務歯)を金属板から打ち抜いて布テープに植え付ける機械だ。

 後に専務となる袋井武夫(故人)は当時、魚津工場の隅にきちんと積まれた大きな木箱十箱を見つけた。スライダー担当だったため「誰が梱包(こんぽう)を解くのかな」と見ていると吉田から大目玉を食らう。「何を考えているんだ。誰の担当だなんてごちゃごちゃ言わないでみんなでやるんだ」

 経験のない機械で、しかも中古。機械についてきた一冊の説明カタログだけを頼りに調整し十日後、ようやく試運転にこぎ着けた。性能は素晴らしかった。製品が出てくるスピードが速すぎて止まっているようにしか見えない。

 吉田は国内の機械メーカーにチェーンマシンの製作を依頼。社内でも江幡博幸(元専務・故人)と袋井ら技術陣が改良を重ね、務歯を一定の長さに植え付けると間隔を空けて次の植え付けをするシステムを開発して搭載した。

 この機構は画期的な発明としてYKKの特許第一号となり、高品質の製品を安く提供する吉田の思想を実現。さらに改良を重ねて世界最高水準の性能を誇ったチェーンマシンのうち八一年製の一台が二〇一一年八月、日本機械学会から機械遺産に認定された。 (敬称略)

 

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