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挑戦 北陸財界ものがたり

北陸電力(6) 水力 産業振興の礎に

大久保発電所を視察する金岡又左衛門(右端)と密田孝吉(中央)ら=北陸電力提供

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 一八九五(明治二十八)年、一人の青年が富山県大久保村塩(現富山市塩)を流れる大久保用水の縁に腰を下ろしているのが農家の目にとまった。流れをみつめては時々、時計を出して木の葉を流し考え込む。毎日毎日、同じことを繰り返す。

 北陸で最初の電力会社となった富山電灯の創業者金岡又左衛門の追悼集が当時の様子を伝えている。この青年こそ金岡とともに北陸初の水力発電所「大久保発電所」(富山市塩)を建てた密田孝吉だった。

 前年の五月、密田は費用を出して富山市で開かれた市設勧業博覧会の会場に五馬力の火力発電設備を持ち込み、十八日間電灯をともして人々を驚かせた。薬種商、政治家として活躍していた金岡は密田に注目し支援する。東京や大阪、名古屋で電灯が事業化されているのを見た金岡は、氾濫して住民を苦しめる川の水で電気をおこし、産業振興ができないか考えていた。

 火力発電を考えていた密田だったが金岡の勧めもあり独学で水力発電の研究を始めた。原理を学ぶと発電所の建設場所が問題になった。富山市街に送電できる場所を探して市内の川や用水を訪ねて歩き回り、約十二キロ南に着目した。神通川の河岸段丘のそばを農業用の大久保用水が通る。段丘の高さ約二十メートル。発電が可能だった。

 しかし、用水の発電への利用を農家に持ち掛けると大騒ぎになる。「用水にエレキをぶちこんで電気をおこすらしい」「発電所で使った水は毒が出て田畑は全滅する」。発電所建設に反対する住民を金岡は一軒ずつ説得して回る。

現在の北陸電力大久保発電所=富山市塩で

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 金岡が富山電灯を設立して大久保発電所(百二十キロワット)が運転を始めたのは一八九九(明治三十二)年三月二十九日。アメリカ製の最新型の水車と発電機を備え電気を送った。電灯は市民を喜ばせる。あんどんや石油ランプよりはるかに明るく、しかも火事の心配がなかった。

 市内の料亭で四月二十五日に開いた開業祝賀会に金岡は電動精米機や電車の模型、電動の操り人形を展示した。建物だけでなく庭にも電灯をともし、多くの見物人が詰めかけた。北陸電気産業開発史によると金岡はあいさつで「工業界の原動力として富山県と国家の公益と富強を図る」との信念を披露する。明るい電気の光を提供するだけでなく、電力によって富山に工業を発展させようという宣言でもあった。 (敬称略)

  (北陸電力編おわり)

 

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