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挑戦 北陸財界ものがたり

北陸電力(4) 電気ビル 発展に貢献

建設後78年たった今も市中心部に威容を誇る富山電気ビル=富山市桜橋通りで

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 富山市中心部、桜橋通り。一帯を生命保険会社や銀行のビルが立ち並ぶビジネス街に発展させるきっかけをつくったのが一九三六(昭和十一)年に完成した富山電気ビルだ。七十八年たった今も古さを感じさせない五階建てビルを建設したのが北陸電力の前身、日本海電気の社長、山田昌作だった。

 富山市星井町にあった日本海電気の本社は富山電灯時代の〇三(明治三十六)年の建築。手狭になり、社内でも社屋の新増築を求める声が高まった。社屋新築計画を知った県は神通川の河道変更で生まれた廃川地での建設を求めた。土地区画整理で市街地への整備を目指した土地が売れず、困っていた。廃川地では市主催の日満産業大博覧会も予定され、ホテルなど全国から集まる観客の受け入れ態勢の整備も課題だった。

 これに応え山田は、日本海電気の本社としてだけでなく、地域に貢献できる機能を持つビル建設を考えた。誘致した企業などにも出資を呼び掛けてビルを所有、運営する会社「富山電気ビルデイング」を設立し建設した。山田の孫で現在、社長を務める山田岩男(63)=富山市=は「(電気ビル建設が多くの会社や公共施設の立地を誘うことで)一帯を富山のビジネス街にしたいという意図があった」と山田の考えを推し量る。

 完成した富山電気ビルは地下一階から地上二階まで日本海電気が本社として使ったほか、銀行や郵便局、売店も入居。三階は企業などへの貸室にした。四階にホテルと大食堂、五階には大ホールをそれぞれ設け、日本海側初の本格的な複合オフィスビルとなった。

 電気ビル四階に山田は翌年、経済人や文化人の情報交換と交流の場として富山社交倶楽部を設けた。会員には県内の政財界人、文化人のほか進出企業の社長や工場長らも名を連ね囲碁、ビリヤード、茶道などを通じて親睦を深め人間関係を築いた。「交流を通じていろいろな企業も設立されたのではないか」。山田岩男は社交倶楽部が果たした役割を強調する。

 現在も会員二百十六人が囲碁や文芸など十二の委員会と二つのクラブで活動。高校生に音楽の発表の場を提供するなど若者の育成にも力を注ぐ。事務局長を務める地崎一教(70)は「山田昌作さんは幅広い人脈を持っていた。社交倶楽部は全国に生まれたのだろうが、現在まで続いている例は少ないのではないか」と話す。 (敬称略)

 富山電気ビル 1934(昭和9)年12月に着工、36年3月完成。当時、延べ総面積約1万2000平方メートルあった。空襲で5階内部を焼失し終戦直後は3階以上が米軍に接収されるなど苦しい経営を強いられた。56年には北側に新館を増築。富山電気ビルデイングは、ホテル事業から撤退したが不動産や商事、食堂など多角的な経営で業容を拡大している。富山市内に第2富山電気ビルを所有するほか、東京にも港区に虎ノ門、六本木、芝にビル計5棟がある。

 

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