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社長を語る

ヤングドライ(富山市) 栃谷義隆社長(51) 稲盛流で地域一番店に

「成長とともに目標が変わる。そこにやりがいがある」と語る栃谷社長=金沢市内で

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 物心ついた時から「将来は社長になるんだ」と思っていた。近所から「洗濯屋のよっちゃん」と呼ばれていたからかもしれない。小学六年生の時に作文で「日本一の洗濯屋になる」と書いた。家業のクリーニングを継ぐことに迷いはなかった。

 大学卒業後、東京で二年働きUターン。それから八年間、営業で現場を走り回り、三十二歳の時に京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が主宰する「盛和(せいわ)塾」ができると聞き、塾生になった。「任されるものが大きくなると、責任もついてくる。経営者の学びも必要と思い始めた」ころだった。今も塾生だ。

 経営の柱は稲盛氏が生み出した「アメーバ経営」と呼ばれる小集団の部門別採算の管理手法。最近では破綻した日本航空再建に使われたことで知られる。売り上げなどの計画と実績をその日その日で確認するやり方で、現場に採算意識が根付いた。「何かおかしい、と思うのは私より社員が三日間ほど早い」という。少なくとも入社後は、売上高が前年を上回り続けている。一九九五年にアメーバ経営を取り入れて企業体質はより頑丈になった。

 問題をいかに想定して、前倒しで対応できるか、これが大事だ。これからも経営が厳しくなる要因は山ほどある。その一つが二〇一四年と一五年に予定される消費税増税。クリーニング料金に転嫁したいが、できないと思う。それならどうするか。収益を上げること。税率が上がる時には、「うちは収益が上がる体質に変わりました」と言いたい。それでこそ「アメーバ」の本領発揮だ。

 今はできないが、一年後の自分たちはできる。この「未来進行形」という考え方で、ちょっと高い目標を掲げて実行してきた。言葉通りに北陸から飛び出し、中京や関西にも出店した。しかし、営業区域を広げるのが目的ではない。「やるからには地域で一番の店になりたい」

 北陸、中京、関西を三本柱に会社を成長させるつもりだ。「店を出している県でリーディングカンパニー(業界をリードする企業)を目指す」。子どもの時の作文が本当になるか。 (坂本正範)

 ヤングドライ 1929(昭和4)年に富山市桜町で「旭屋クリーニング商会」を創業。66年に社名を「ヤングドライ」に変更する。北陸にとどまらず、2004年に名古屋に進出。06年に有限会社から株式会社に変更した。11年に大阪市、12年に滋賀県に本格進出した。靴やかばんの修理、業界で初めてドライブスルー方式を導入するなど幅広く手掛ける。キャラクターはアヒルのマーク。直営店約280店、取次店約300店を持つ北陸最大手。12年8月期のグループ売上高は約39億円。

 とちたに・よしたか 1961(昭和36)年富山市生まれ。流通経済大経済学部卒後、東京の大手クリーニング企業に勤務。86年にヤングドライに入社。営業部長、常務などを経て2006年10月に社長。座右の銘は「知行合一(ちこうごういつ)」。

 

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