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社長を語る

石川製作所(石川県白山市) 竹田徳文社長(69) 元自衛官 黒字化に信念

工場へ毎日足を運び、製品の仕上がり具合をチェックする竹田社長=石川県白山市の石川製作所で

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 社長就任の要請を断り続けて三カ月。海上自衛隊出身という経歴が心にひっかかっていた。二〇〇一年に入社後は東京で勤務していたので「民需はやったことがない。西も東も分からない。社長の器でない」と自覚していた。還暦も過ぎていたが、当時の直山泰社長から「努力すれば不可能でない」と繰り返し説得されていた。

 入隊して二年後の夏、幹部自衛官として研修で派遣されたのが石川製作所だったので、防衛機器の高い技術を持ち、日本の防衛産業に不可欠だと十分認識していた。業績は赤字が続いていたが、「もしも将来、会社がなくなったら日本の損失。この技術を育てよう」と覚悟を決めたのが〇九年春。自衛隊出身で東証一部上場企業の社長になったのは珍しい。部長クラスとは若いころに一緒に仕事をしたことがあり、顔見知り。違和感なく、入社した日から会議に出ていた。

 創業者の直山与二氏(故人)が大株主の伊藤忠商事社長を務めた越後正一(同)からもらった色紙に「自分のことを棚に上げて人の責任にするな」という趣旨のことが書いてある。海自出身の自分も知ったかぶりをするまいと決めた。みんなで話し合って一つ一つ決めよう、決まったらその方向に一致団結しよう。この信念はぶれない。心がけているのは「風通しの良い社風」だ。

 約九十年の歴史を持つ東証一部上場企業とはいえ、売上高は百億円に届かない。社員は千三百人規模から約二百七十人に減った。社員には「うちはもう大企業ではない。昔のことは忘れてほしい」と言い、一人で何役もでき、得意技を持つ多能化を求めている。

 社長になって会社は再出発したと思っている。段ボール製函(せいかん)印刷機の新型を開発し、主力商品になった。業績は回復して黒字になったが、まだ満足していない。現在の陣容でも売上高を百二十億円規模に伸ばすのは無理ではない。あと五年ぐらいで達成したい。「やることはいっぱいある」 (坂本正範)

 石川製作所 1921(大正10)年に石井鉄工所として創業し、繊維機械の部品を製作する。38年に現社名に変更。戦時中、海軍の水中兵器を製造。戦後、繊維機械、防衛機器に進出した。64年に段ボール製函印刷機の生産を開始。95年に半導体関連分野に進出した。2002年に松任工場に機械・組立工場を新設し、森本工場を移転・統合して本社工場とする。本社は石川県白山市福留町。資本金45億円。12年3月期(連結)は売上高が98億5400万円、営業利益が2億6200万円、純利益が9100万円。

 たけだ・のりふみ 1968(昭和43)年海上自衛隊に入隊。海将で退職し2001年4月に石川製作所に入社、東京研究所副所長に就く。その後、執行役員、常務などを経て09年4月に社長。東京研究所所長を兼務している。広島大大学院工学研究科修了。東京出身。

 

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