トップ > 北陸中日新聞から > 北陸けいざい > 社長を語る > 記事

ここから本文

社長を語る

坂本北陸証券(金沢市) 小々高利昭社長(59) 破綻経験 「社員を幸せに」

「大事なのは顧客目線。初心に帰ってスタートした」と語る小々高利昭社長=金沢市下堤町で

写真

 「積み上げてきたものが崩れる。これは経験した者でないと分からない」。二〇〇一年末、勤務していた石川銀行(金沢市)が破綻した。働き盛りの四十八歳。株式や債券を運用する市場金融部長だった。

 会社清算の業務をしていた一年後、仕事場に電話がかかってきた。「滑り止めでどうでしょうか?」。知り合いの坂本北陸証券の北出晟(あきら)社長(当時)から独特の物言いでの再就職の誘いだった。ほかの会社からも声をかけられていたが「同じ金融機関だしな」と決めた。

 石川銀が北陸銀行などに譲渡された〇三年三月二十四日、「証券マン」として再出発した。三日後、息子の将来を心配していた病弱の父親がなくなった。「見届けたのか」と思った。

 新しい職場で管理や検査部門を歩き、一〇年の夏に竹居幸蔵社長(当時)から後継を打診された。しかし先輩の役員が二人いる。しかも、リーマン・ショックの後遺症で大嵐が吹き荒れ、会社の業績は落ち込んでいた。「ほかの役員に了解をもらった」と口説かれ、二週間悩み「逃げるわけにはいかない」と引き受けた。不安よりも緊張感の方が強かった。

 経営者になってまず手を付けたのが新たな経営方針と五年間の中期経営計画。顧客との信頼関係構築や経営安定などの戦略を半年間かけてつくった。社員の意識改革にも乗り出した。「会社にいてもお客は来ない。外に出てお客と話してこい」とハッパを掛けている。改革はまだ途中だが、変化の手応えはある。地域と共栄共存、地域の一員になるのが地場証券の生きる道だ。

 社長になってもう二年。「何も考えず突っ走ってきた」。今は周りが見えるようになった。社員に不安を与えないよう笑顔を絶やさない。経営方針に掲げた「社員と家族にゆとりと幸福のある生活を実現する」ことが「最後に行き着くところ」と言う。破綻を経験したからこそ思うことがある。「社員を満足させないと社長とはいえない」

 (坂本正範)

 坂本北陸証券 1907(明治40)年に「坂本商店」として金沢市で創業。44年に坂本証券に変更、74年に北陸証券と合併して現在の社名になった。2009年6月に荒町証券(富山市)と経営統合した。12年3月期は営業収益が3億4000万円、経常損失(赤字)が8000万円。金沢市下堤町の本店(本社)のほか、富山県内に高岡支店(高岡市末広町)、南砺支店(南砺市福光)、富山荒町支店(富山市荒町)の計4店舗を持つ。社員は36人。

 ここだか・としあき 1977(昭和52)年加州相互銀行(後の石川銀行)入社。2001年12月に石川銀行が破綻し、03年3月に退職して坂本北陸証券に入社。検査部長、管理本部長兼検査部長、取締役管理本部長兼経理部長、取締役常務執行役員・管理本部長を経て10年10月に社長就任。富山大卒。金沢市出身。59歳。

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索