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社長を語る

菊姫(石川県白山市) 柳達司社長(64) 酒造り 感覚より段取り

酒を搾る袋を利用して作ったのれんについて説明する柳達司社長=石川県白山市の本社で

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 三十七年前に帰郷。六十二歳の父の引退を受け、右も左も分からないまま家業を継いだ。二十六歳だった。大手酒造会社が量産体制を確立して攻勢をかけていた。蔵元の多くが廃業の危機にあった。

 「そのまま廃れるのか。いや、日本一の酒屋になろう」と決意したが、販売量では勝てない。「では品格(品質)、中身(味)、販売単価の高さで日本一になろう」

 「水は天下の『あたわりもん(与えられた物)』や」と語るように、石川県白山市鶴来地区は白山連峰からの雪解け水が流れる手取川からの恵みを受けられる。

 まず目を付けたのが原料米。兵庫県三木市吉川地区から最高級酒米の山田錦を、同じ田んぼから安定的に入手できるようにした。県外へは出荷されていなかったが、農家の支持を取り付けた。

 次は技。酒造りでは、リーダーを務める杜氏(とうじ)の勘や経験が頼り。能登地域で農業をしている人が農閑期に来て働いていたが、引退したら味が変わってしまう恐れがあった。

 技術者を養成するため一九八六(昭和六十一)年、大学の理工系出身者を募り、二年後にマイスター制度を導入した。「酒造りはフィーリング(感覚)よりも段取り。物理、数学で考えられる人がいいし、物事を切って捨てられる工学部の人もいい」

 コンピューターや温度センサーといった機器も導入し、酒造りのノウハウをデータ化した。全国清酒鑑評会では、六七年から最後の出品となった二〇〇〇年まで通算で金賞を二十三回受賞。杜氏の引退を乗り越えた。「今じゃ杜氏になる器の人間が九、十人いる。どこに派遣してもいいくらいになった」

 日本酒の消費量は、一九七〇年代前半のピークから三分の一に落ち込んだ。酒類の好みが多様化し、売場も酒屋だけでなくスーパーやコンビニに広がった。低価格化に巻き込まれないように、三年かけて全国の小売店を回り、十年前に独自の販売組織を設けた。

 「廃れたのは酒屋がだらしないから。酒造りの仕事を合理化ではなく、省力化したからだ。悪い酒を造ったメーカーが悪い。『今年はいい酒ができた』なんて言葉はうそ。毎年いい酒ができる再現性が大事」。のれんやラベルを守りつつ、ハイテク化、システム化を図る仕事が続いた。

 四年前、二十七歳で帰ってきた長男の荘司氏(専務)に会社を任せている。

 「設備、人材、販路は整えた。社員は育ち、思想は残っている。私が早く外に出た方が新しい発想が生まれる。あとは息子が考えること」(村上豊)

 菊姫 安土桃山時代の1570〜1600年の間に「小柳屋(おやなぎや)」として創業。1902(明治35)年合資会社柳酒造店、28(昭和3)年菊姫合資会社。41年宮内庁御用達に。67〜2000年、全国清酒鑑評会で通算金賞23回、銀賞8回受賞。07年IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)サケ部門で初代チャンピオン。従業員38人。

 やなぎ・たつし 1948(昭和23)年8月、石川県鶴来町(現白山市)生まれ。73年東京農業大醸造学科を卒業。在学中にアーチェリーでインカレ出場。宝酒造(京都市)に2年間勤務後、75年、17代目として菊姫合資会社代表に。

 

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