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社長を語る

のと共栄信金(石川県七尾市) 大林重治理事長(69) 師を目標に 逆境屈せず

屋久杉のついたてを前に「困難から逃げずに取り組んできた」と語る大林理事長=石川県七尾市ののと共栄信金本店で

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 振り返れば人生の最初の転機は十三歳の時。国鉄マンの父の死だった。大学進学は、経済的に諦めざるを得なかった。高校三年の夏、税務署勤務を目指して試験を受けたが、父がいないという家庭の事情もあったのか、二次試験の面接で落とされた。

 「やはり大学に行きたい」と姉に相談したが、首を横に振った。「地元の信用金庫が募集をしている。今からでも間に合うから受けなさい」と言われた。他に選択肢はなかった。

 進学した同級生の話がうらやましかった。悔しさもあって、通信講座を始めた。勉強は出勤前の早朝。やがて東京で一カ月間の夏期講習を受ける機会を得る。だが、上司は許可してくれなかった。「未練はあったが、気持ちを切り替えることにした」

 二十五歳の時には胸膜炎にかかり、約五カ月間の入院を余儀なくされた。若手には長いブランク。ようやく金融の仕事の面白さが分かってきたころで、病室で暗たんとした気持ちになった。

 不安を拭い去ってくれたのが当時理事長だった故井村定次氏。「今は良い薬があるから大丈夫。仕事のことは心配しなくてもいい」と、二度も見舞いにきて励ましてくれた。

 卓越したリーダーシップで人望が厚かった。厳格な人という印象が強かったが、繊細で優しい一面を知り「この人を将来の目標に」と意を強くした。

 理事長就任は一九九九年。バブル崩壊後の景気低迷が続き、金融業界は激動期にあった。末席の常務からの昇格。「荒波の中をかじ取りをして職員や家族の生活を守れるのか」と悩んだ。

 しかし、職員たちは自分の後ろ姿を見て、しっかりとついてきてくれた。旧共栄信金との合併など大仕事も無事に成し遂げ、経営基盤を拡充できた。

 座右の銘は「人間万事塞翁(さいおう)が馬」だ。「人生には逆らえない出来事は多いが、逆境に屈せずに頑張っていれば道はひらける」。理事長室の入り口には、井村氏の代から受け継いできた屋久杉の大きなついたてがどっしりと据えられている。

 (瀬戸勝之)

 のと共栄信用金庫 本店・石川県七尾市。1915(大正4)年に無限責任七尾興産信用組合として設立、52年に信用金庫に組織改正し能登信用金庫に名称変更。2003年に旧共栄信用金庫(金沢市)と合併し現金庫名になった。総資産3001億円。自己資本比率13.94%(いずれも11年9月末時点)。石川県内に30店舗。従業員数276人。

 

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