トップ > 北陸中日新聞から > 北陸けいざい > 社長を語る > 記事

ここから本文

社長を語る

箔座(金沢市) 高岡昇社長(66) 「唯一性」光る商品開発

「商売のことを考えるとわくわくする」と話す高岡社長=金沢市の箔座本店で

写真

 「会社をつぶしてなるものかと、心に熱い炎がともったんです」。金箔(きんぱく)販売の得意先だった仏壇業界が、低賃金の中国へ生産拠点を移す動きが加速した一九九〇年前後。右肩上がりだった金沢箔の生産が減少に転じた。不安がよぎった。

 会社の原点は、腕の良い金箔職人だった父が五三年に乗り出した金箔製造販売業。「商社マンとして世界中を飛び回りたい」との夢があり、継ぐ気はなかった。

 しかし、高校二年のころ、後継者と目された義兄が急死。両親に「おまえだけが頼り」と泣きつかれた。三年の時には、営業担当だった母が骨折して動けなくなり、代わりに行商に出る羽目に。「嫌でしようがなかった」が、制服姿で全国を回った。

 先々で温かく迎えられ、母が営業先と築いた濃密な関係に打たれた。踏ん切りがついた。高度成長期にのって「作れば売れる時代」で社業は順風満帆。社長就任は二十六歳の若さだったが、不安はなかった。

 そこへ、仏壇業界の中国進出。「目が覚めた」。金箔商品の企画販売に乗り出そうと考えた。先行同業者がおり、他社との違いを打ち出す必要があった。折しも、映画が製作されるなど桃山時代の茶人・千利休が注目を集めていた。利休を重用した豊臣秀吉にちなみ「金の茶室で話題をさらえないか」。

 九〇年に、億円単位という社運をかけた投資をし、本社を小売店併設の箔座本店に建て替えた。四万枚もの金箔を使った茶室もしつらえた。前代未聞の取り組みが注目を集め、連日のように団体客がバスで詰め掛けた。「商売の面白さに目覚めた」と同時に「成功の秘訣(ひけつ)はオンリーワンを狙うこと」と悟った。

 工芸品に始まり、化粧品や菓子などを自社企画。新素材開発にも挑み、二〇〇二年には金とプラチナを合金にした世界初の純金プラチナ箔も商品化した。

 金箔の用途拡大を図るきっかけを求め、一〇年には東京・日本橋へも出店。「世界に取引先を拡大して業界活性化につなげたい」。新たな夢の実現に奔走する。 (網信明)

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索