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北陸文化

【本】詩人同士 心の交流 「寺島珠雄書簡集 石野覚宛」亀鳴屋から刊行

生前の寺島珠雄さん(右)と石野覚さん(寺島珠雄事務所提供)=1994年11月

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 大阪・釜ケ崎などで暮らし、アナキスト詩人として知られる寺島珠雄さんが生前、金沢市の詩人・石野覚さんにあてた百通余の手紙、はがきなどをまとめた「寺島珠雄書簡集 石野覚宛」を、同市の一人出版元「亀鳴屋」が出版した。寺島さんの人間味あふれる人柄や行動の跡を知る上で貴重であると同時に、石川県内の一部の人にしか知られていない無名に近い詩人に寄せた信頼と親愛の情、二人の詩人が深く通わせた心の交流が滋味深く伝わってくる。 (松岡等)

◇ ◇ ◇

 出版に至ったのは、亀鳴屋の編集者・勝井隆則さんが二〇〇二年に石野さんから書籍の注文を受けたことに始まる。無口な石野さんに勝井さんが、石野さんが編集した「寺島珠雄選詩集」のことを話題にすると、石野さんは缶に入った書簡の束を取り出し「よかったら差し上げます。あとはどうなさってもかまいません」と告げる。

「寺島珠雄書簡集石野覚宛」

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 譲り受けた書簡は一九七三年〜九九年までの百通余り。書簡で寺島さんは、師事した詩人の小野十三郎さんらさまざまな文学的な交流はもちろん、釜ケ崎の日常生活、詩や酒や日々の細々をあけすけに石野さんに報告。石野さんが度々、寺島さんの好きな酒やさかな、米などを送っていることも分かる。

 二人の出会いは一九六九年からと寺島さんが書いているが、詳しい経緯は分からない。書簡集の編集の過程で勝井さんは、寺島さんが雑誌や個人誌に石野さんについてのエッセーや詩を残していることを知り、それを編集後記で記している。石野さんが、自身の詩の手稿五十編から寺島さんに十編を選ぶよう求め、寺島さんが選ぶと、それはすべて捨てて、残りを推敲(すいこう)すると告げたまま発表しなかったというエピソード、石野さんが寺島さんの選詩集を編む過程などのエッセーからは、石野さんの厳しい批評眼を寺島さんが敬意を持って信頼している様子がうかがえる。寺島さんが石野さんにあてて書いた「ともだち」と題した詩も。

 寺島さんは一九二五年東京生まれ。旧制中学を中退しダダイスト辻潤に傾倒。労働運動に携わった後、長年、大阪市西成区の釜ケ崎(あいりん地区)に暮らしながら詩作に取り組み、アナキスト詩人として知られた。詩集に「わがテロル考」「ぼうふらのうた」「神戸 備忘記」など、評論「小野十三郎ノート」などを残し九九年に死去。

亀鳴屋の勝井さんが譲り受けた寺島さんによる石野さんあての書簡

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 二〇一三年に、釜ケ崎の歴史、仕事、食住、行政などを執筆協力者とともに記録しながら未完だった編著書「釜ケ崎語彙集」(新宿書房)が四十年ぶりに出版され話題になった。

 石野さんは一九二六年、石川県松任市(現白山市)生まれ。電電公社(現NTT)に勤務しながら郷村滋の名前で詩、批評を書き、詩集に「残像素描」「郷村滋詩稿集」(ともに手製本)など。〇七年に亡くなった。

 縦十四センチ、横一四・八センチ。百八十四ページ。限定四百九十三部。二千円(税別)。直販のみ。(問)亀鳴屋=電話・ファックスとも076(263)5848

 

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