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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(37) 水のこと

「右岸の猫」

写真

梅の橋あたりの遊び場

 梅の橋が架かるまで、浅野川のあのあたりは、近くに暮らす私たち子どもの、川遊びの場だった。河原のコンクリートの歩道から川へ下りることができた。四、五段の段々だったか。雨がうんと降ったあとは、川に隠れてみえなくなる。天気がよくて、みえた日が遊んでよしの、しるしだった。

 私たちは裸足(はだし)になって川へ入った。川の水はプールより、海よりもきゅんと冷たくて、気持ちよかった。鮴(ごり)という魚を見つけたくて、川の石をそっと持ち上げてみたりもした。上流の常盤橋のそばには、川で捕れた鮴をだす料理屋があることも、私たちは知っていたのだ。それから小石をどこまで遠くに投げられるか競ったり…。黒くてツルツルのや、キラキラと光る石を見つけると、私は投げずに家に持ち帰り、宝箱にしまった。

 せいぜいふくらはぎくらいまでつかるのが、私たちの川遊びだった。深くて流れの速い少し先へ進もうか、そして向こう岸の並木町まで渡ってみたい気持ちはあっても「いくぞ、いくぞ」の、毎度口ばかり。川の怖さも私たちはちゃんとわかっていた。そして、ガラスの破片を見つけてからは、裸足で川に入ることも少なくなった。ぼこっ、ぶぶっ、ぽこぽこと、おかしな音をたててズックの中に川の水が入ってくる。じかに川の流れを感じられなくなって、私はあまりいい気はしなかった。

 「ちびたい、ちびたい(冷たい、冷たい)川の水は、山の水、雪解けの水」浅野川大橋から上流を眺めると天神橋のずっとずっと先に山が連なっている。雪のかむる頃の山はそこだけが墨絵のように映って、今も私は好きなのだ。

 「金沢は街のあちこちに水の流れがあるんですね」と、先日、旅したひとのはなしを聞いているうち、私は金沢の水の記憶の地図を頭のなかにひろげてみたくなった。卯辰山の子来町、鶯町から字多須神社へ続く流れもあった。あすこではよく遊んだ。味噌蔵町へ向かう道にもあったし、長町から香林坊裏、柿木畠…。水のラインを青鉛筆で引いてゆく。中学の図画の先生を訪ねた日には、たっぷりの水が勢いよく流れる水路にも出くわした。しばし足を止め友だちとふたり、水しぶきに見入っていた。版画家でもある先生のお家があるのは油車という町。町名が記すとおり、かつて油屋が住み、水車を回して仕事をしていたそう。あの日だけじゃなく昔から水の流れの強いところなのだろう。

 梅雨が明け、気温もとうに三十度を超えた東京のお濠(ほり)の近くに私はいる。駅のベンチからは釣り堀に釣り糸を垂れる人たちも、いつもより少ないが、見える。濠に沿って電車は走る。二本見送った。水辺の風が心地いいのと、浅野川で遊んだあの頃を思ったら、足首のあたりがひやっとして不思議な気分になったのである。ひとが大勢やってくるイベントもほとんどなかった、あの頃は。

 (まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)※次回は八月四日

 

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