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北陸文化

工芸教育 現代に実り 納富介次郎と四つの都市

石川県立工業高校の納富像=金沢市本多町で

写真

寄稿 松尾豊

元高岡第一高校教諭

 納富(のうとみ)介次郎という人物をご存じですか? 石川県立工業高校や富山県立高岡工芸高校の前身となった学校を創った人物です。「工芸教育の父」とも言える納富に対し、美術教育の分野からもあらためて熱い視線が注がれています。

 納富は現在の佐賀県小城市出身。江戸時代末の一八四四年、柴田花守とフチの次男として生まれました。幼少より父から南画を習い、八歳で介堂という号を取得しています。十三歳で小城藩を脱藩し、長州・萩に赴いて勤皇志士と交わります。その後、多彩な能力から請われて佐賀本藩の納富六左衛門の養子に入り納富に改名しました。

 明治維新から間もない一八七三(明治六)年、納富はウィーン万博には事務官として参加しました。その経験から納富が日本が目指すべき方向として必要だと確信を持ったのが工芸(工業)教育でした。

 納富は、加賀藩の所属だった金沢と高岡に二つの工業・工芸学校を創ります。八七(同二十)年に金沢区工業学校(現石川県立工業高校)、高岡には、九四(同二十七)年に富山県工芸学校(現富山県立高岡工芸高校)を開校し初代校長に就任します。その後、香川県工芸学校、佐賀県工業学校有田分校の初代校長も歴任しました。「工業学校」という名称の金沢も有田も実質的には工芸の学校でした。

 明治、大正期は、「工芸」と「工業」、「工芸」と「美術」という言葉の意味は曖昧でしたが、現在姉妹校である納富の残したこの四つの工芸高校は、金属工芸、木材工芸、漆工芸、陶芸などの領域を文化として伝え残しています。納富の名前や四つの工芸学校について知らずとも、四つの都市の日本遺産や世界遺産、人間国宝や芸術院会員の輩出やその地で活躍の文化人の多さを考えれば、納富と彼が創った工芸学校の役割は大きく、文化資源としての納富と工芸学校関連の人、物、事が未来にもつながっています。

 金沢市には金沢美術工芸大が生まれ、同市は国連教育科学文化機関(ユネスコ)のクラフト分野の創造都市となりました。富山県高岡市では国の重要民俗文化財「御山祭の御車山祭行事」で使用の木工・金工・漆工技法や関連行事が「ユネスコ無形文化遺産」になっています。その後、高岡市と有田町には国立大学芸術系新設学部が誕生しています。

 一見、無関係のようにみえる金沢市の金沢21世紀美術館、輪島塗と奥能登国際芸術祭、香川県の金属、漆産業と瀬戸内国際芸術祭等のアートプロジェクトなども納富の残した遺産とは考えられないでしょうか。四つの工芸都市の成り立ちを見るとき、納富が残した工芸教育の重要性と、彼が思い描いた工芸の力を再認識すべきだと考えています。

まつお・ゆたか 新潟県五泉市生まれ。東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻卒。美術科教育学会会員。パブリックアート、納富介次郎研究者。著書に「パブリックアートの展開と到達点」(水曜社)

 

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