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北陸文化

【能楽おもしろ鑑賞法】18 能「忠度」 桜の木の下から蘇る無念

能「忠度」の後場。シテは時に討手の六弥太となり、忠度の短冊を朗唱する=2008年3月2日、石川県立能楽堂で

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 金沢能楽会の六月定例能は、名曲「忠度(ただのり)」が上演される。平家物語に描かれた和歌物語の見事な舞台化だ。ワキは旅僧だが、ただ者ではない。主の死で出家した、藤原俊成(謡はシュンゼイとトシナリの両方使う)身内の者。この僧の視線が鑑賞のポイントだ。

 西国行脚で寄った須磨。一本の桜を見つけ、光源氏が植えた「若木の桜」とみて眺める。そこへ塩焼きの老人(前シテ)が現れ、在原行平の歌や塩焼きの柴(しば)を山に求める話など源氏物語の須磨が展開される。

 だが、僧が宿を求めると老人は「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵(こよい)の主ならまし」という歌を示し、詠んだ平忠度はこの木の下にあると明かす。俊成は忠度の歌の師。僧はようやく、須磨が忠度最期の地だと悟るのだ。

 老人は、自分は忠度の霊だとほのめかして消える。桜の下での法要。武将姿で現れた忠度の霊(後シテ)は、都落ちの際、俊成宅に寄り、自分の歌を千載集に載せるよう頼んだことや、朝敵のため詠み人知らずにされた無念を語る。

 そして、忠度最期の場面。組み合った源氏方の六弥太を跳ね飛ばすが、痛手を負い、首をはねられる。風情から相手は名のある武将と思う六弥太。腰の矢に付けた「行き暮れて」の短冊で忠度と知る。シテは一転、六弥太の思いと朗唱を演ずるが、僧の幻視の舞台化だ。四度目の「ゆきくれて」の謡で終わる物語。心憎い脚色を味わいたい。 (笛)

◇六月定例能番組(6月3日午後1時、石川県立能楽堂)

 ▽能「西王母」(シテ高橋憲正)

 ▽狂言「樋の酒」(シテ山田譲二)

 ▽仕舞「鵜之段」(シテ島村明宏)

 ▽能「忠度」(シテ佐野玄宜)

入場料=一般2500円(当日3000円)若者割(三十歳未満、当日券のみ)1000円、中学生以下無料、(問)同能楽堂076(264)2598

 

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