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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(31) 鏡餅のこと

「小さなお鏡」

写真

火の神様にもお供え

 「金沢の鏡餅は、紅白なんですね、珍しい」と、このところ話題にのぼることが多くなった。観光名所やおいしい食べものに加えて、金沢らしい風習も広く紹介されているようだ。東京で私が初めて鏡餅をみたのは、昭和六十年、上京して間もない暮れだった。餅菓子屋の店先の打ち粉した長い板に、大きいの小さいの、どれも白の餅ばかりが一列に並んでいた。地味なのである。紅いのはいつ現れるのだろう、紅と白は搗(つ)く日が違うのかな、と思ってみたり。

 子供の頃、勉強机の上にも、鏡餅が供えてあった。手のひらにのるくらいの紅白の餅に、橙(だいだい)も小さかった。大きな鏡餅のような干し柿や譲り葉や、裏白も昆布もない。小さな鏡餅は、神棚に仏壇に、台所に、家のあちこちに供えてあった。わたしがもっとちいちゃな頃は、へっついさん(かまど)の上にも。ここでごはんを炊いて、お釜からお櫃(ひつ)に移し、冷めないよう、ふとんにくるむ。ふとんといってもお櫃専用だ。我が家ではたっぷり綿のつまった肌色の地に赤や青を散らした柄のもの。縫い付けてあるひもを結んで、しっかりとくるむことができた。

 へっついさんの横には風呂の焚(た)き口もあった。家の外には高い煙突が立ち、もくもくと白煙がなびいている。今ではすっかり観光地となった花街に、ひとの暮らす気色がみえたのである。あのころ、卯辰山の五本松(宝泉寺)のあたりへよく祖母とでかけていた。祖母が前掛けのすその両端をつまみ上げてつくったくぼみに、私は松かさ(松ぼっくり)を拾っては、ひとーつ、ふたーつ、と入れていくのである。こういうところで私は数のかぞえかたをおぼえていたのかもしれぬ。いっぱいになると祖母は、胸の前に引き寄せ、赤ちゃんを抱くような格好で山をおりてゆくのだった。かわいい形の松かさは飾るためではなくて、焚き付けに役に立った。へっついさんの鏡餅は火の神、荒神さまへのお供えだったのである。

 火の神様もことをかいたらよいタイミングで、明日一月七日は金沢の消防出初め式と知った。切れのいい加賀鳶(とび)の梯子(はしご)のぼりも見ものだ。歌舞伎の演目にもなった加賀鳶は、今年三百年を迎えるそうである。「加賀鳶は六尺以上の大男がつとめていたのですよ」とおっしゃるのは、銀座の老舗の店主。大正三年浅草生まれ、今も現役の自家焙煎珈琲(ばいせんこーひー)専門店の主のご先祖様は、前田藩お抱えの加賀鳶だ。百八十センチを超える長身の、町火消しとは異なる髷(まげ)を結った彼らの意気は、さぞ勇ましかったろうに。そして加賀鳶といえばもうひとつ、ひがしの花街からうまれた踊りがある。名妓(めいぎ)といわれたあのひと、男踊りがなつかしい、美ち奴さんの加賀鳶。(まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)

  ※次回は2月3日掲載

 

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