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北陸文化

【寄稿】命の選別 許されるのか 盛永審一郎(富山大名誉教授)

15000人の障害者が殺されたハーダマール精神病院敷地内の共同墓地跡に建てられた記念碑。「人間よ、人間を尊重せよ」と書かれている=ドイツ・ハーダマールで

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 相模原市の障害者殺傷事件の容疑者の言動はナチス・ドイツの優生思想を思い起こさせた。しかしそれは、倫理性を顧みずに生命科学を推し進めようとしている現代社会にも通底する問題なのではないか。その危険性を倫理学の立場から近著「人受精胚と人間の尊厳」(リベルタス出版)で問う盛永審一郎・富山大名誉教授が本紙に寄稿した。

人間よ、人間を尊重せよ

ドイツ・ハーダマール記念碑の言葉

 相模原市の障害者施設で、二〇一六年七月に刃物を持った男による戦後最大の殺傷事件がおきた。事件の根底には障害者差別の思想があった。この事件に義憤を覚えなかったものはいないだろう。

 しかし、この義憤が障害者に対する慈悲や思いやりという感情からしか生じないとするなら、それはもろいものである。事実、第二次大戦時のナチス・ドイツが遂行した障害者安楽死計画(T4計画)がそのことを示している。戦争が始まると、「健康な家族・健康な子供」が賛美され、障害者は国家のために役立たないだけでなく、税金を使用する社会の重荷として、七万人がハーダマールにある精神病院などのガス室で殺された。背後にあって、誰が生きるべきか、死ぬべきかを決めていたのは、優生思想だった。

 平和な時代にも、優生思想は影を潜めていない。一二年に新型出生前診断という母体の少量の血液だけでお腹の子供の染色体数的異常が99%の確率でわかるという検査方法が確立した。日本医学会はこの容易に判定できる検査方法が胎児の選別に使用されるのではないかと危惧し、導入にあたり三年間臨床研究として行うという姿勢をとった。一六年七月に出た報告によると、検査で陽性と判定された妊婦の94%が人工妊娠中絶を選択した。

 「健康な子供が欲しい」という親の願望で染色体数的異常児の選別が平然と行われている。この個人の優生思想という事実を直視せずには、障害者差別は本質的に姿を消さないだろう。なぜなら、障害者を殺すことにも障害者を産まないことにも、障害者を生きるに値しない重荷とみなす無言の圧力が通底しているからだ。

 山中伸弥京都大教授が受賞したノーベル生理学・医学賞は、ノーベル倫理学賞とも言われた。それは、彼が「受精卵と娘は大して変わらない」と悟り、受精卵(人間)を壊して(殺して)幹細胞を作成する研究から手を引き、当時は研究が四十年遅れると危惧されていたのにもかかわらず、体細胞から幹細胞を作る研究へと目を向け直したからだ。この倫理という「思考の帽子」がなければ、いま再生医療で期待されている人工多能性幹細胞(iPS細胞)は作り出されることはなかっただろう。このことに真摯に目を向けるならば、遺伝上のリスクのある受精卵の選別を行う着床前診断や新型出生前診断の安易な受診はできないはずだ。

 分子生物学の進展は著しく、個人や国家は、人の受精卵の遺伝子を解読するだけでなく、リスクの高い遺伝子を、正常な、あるいは望まれる遺伝子と置き換える「遺伝子編集技術」によって改変し、不幸のない社会、ユートピアを実現しようとしているかのようだ。しかしそれは、個人が遺伝子と等置され、身体によって評価、操作、管理される社会ではないのだろうか。そこでは、「私」とはもはや缶詰の缶の外に張られたレッテルにすぎないことにならないだろうか。

 ハーダマールの記念碑には「人間よ、人間を尊重せよ」という言葉が刻まれている。私たちの社会はもう一度、この言葉に立ち返らなければならない。

もりなが・しんいちろう 1948年千葉市生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程中退。研究テーマは実存倫理学、応用倫理学。著書に『終末期医療を考えるために 検証:オランダの安楽死から』(丸善出版)、共編著に『生殖医療』(同)、『生殖医学と生命倫理』(太陽出版)ほか多数。

 

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