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北陸文化

【能】父と金沢に決意の舞を 23日 渡辺容之助さん追善能

追善能公演の「道成寺」でシテを勤める渡辺茂人さん=金沢市内の自宅で

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長男・茂人さんが「道成寺」

 金沢能楽会の重鎮として活躍した宝生流シテ方の故・渡辺容之助さんをしのぶ七回忌の追善能が二十三日、金沢市の石川県立能楽堂である。容之助さんにとって特別な曲だったという「道成寺」を長男の茂人さん(45)が舞う。茂人さんは「金沢の能楽ファンにも名曲を見ていただきたい」と決意を語る。 (松岡等)

 容之助さんは素人からプロになった父の初世荀之助さんに師事し、十代でプロとなった。一九五二年、当時としては珍しく、地方から宗家に弟子入りした。しかし、父の病気で三年で帰郷。その後は金沢での普及に努めながら、七五年に日本能楽会会員となり重要無形文化財保持者として活躍した。

特別な曲に思い

 「道成寺」は「石橋(しゃっきょう)」「乱(みだれ)」と並び、演じることで能楽師として一人前になったと認められるいわゆる「披(ひら)きもの」。しかし、家の格が重んじられていたかつての金沢の能楽界では、誰でもが演じられるわけではなかった。明治期以降で三度しか演じられていなかったのを、一九六九年に宗家の推薦で舞ったのが容之助さんだった。地方にあっても実力が認められた証しだった。

 「『道成寺』を東京で披露することなく金沢に帰った父は、東京と地方の差を感じていた。同世代の能楽師が東京で全国的な知名度を上げているのに、自分は地方限定の能楽師であることに悔しい思いもあったのではないか」と、茂人さんは当時の容之助さんの思いを推し量る。

舞台歴70年記念の演能会で能「翁」を演ずる渡辺容之助さん=2008年4月26日、金沢市の石川県立能楽堂で

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「成長試される」

 茂人さんも同じく金沢から宗家の内弟子となり、東京で技を磨いた。当時、容之助さんから言われたのは「東京で『石橋』『乱』『道成寺』を披いてきなさい」という言葉。「それまで金沢に戻らなくていい」という意味もあった。二〇一〇年に金沢に戻り活動する茂人さん自身も、「帰る時には東京で活躍したいという思いと、金沢を盛り上げたいという気持ちで葛藤もあった」と、父の思いと自らを重ねる。

 茂人さんが「道成寺」を舞うのは、〇六年に東京・宝生能楽堂で披いて以来、十一年ぶり。「初演では緊張もあってできなかったこともある。能では役者が演じすぎず、客が入ってくる余地がなければいけないが、当時は型に追われて余白がなかった」

 「今回は金沢の能楽ファンに名曲を見ていただきたい。宗家の許しもあって、東京時代に続いて二回目を演じさせていただくことになったが、どこまで自分が成長できたかが試される機会でもある」と話す。

 金沢能楽会では常務理事も務めている茂人さん。「小規模な団体である分、我々の年代であっても、舞台だけでなく会の運営に責任が重い。能楽の世界全体で担い手が減っている中、宝生流にとって金沢は重要な地。廃れさせてはいけないという気持ちは強い。父への感謝の気持ちを含め、自分も金沢でしっかりやっていくという気持ちで演じさせてもらう」と意気込む。

     ◇

 追善能は茂人さんが容之助さんから受け継ぐ荀宝会の主催。ほかに、容之助さんの長女松田若子さんが能「清経」でシテを勤める。松田さんの次男脩さんの初面(はつおもて)ともなる。また、宝生流二十世宗家の宝生和英さんが「江口(えぐち)」、容之助さんの弟の二世・渡辺荀之助さんは「融(とおる)」の仕舞をそれぞれ披露する。

 

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