トップ > 北陸中日新聞から > 北陸文化 > 記事一覧 > 10月の記事一覧 > 記事

ここから本文

北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(28) 古九谷のこと 

「魅せられて」

写真

鉢のかたちの絵 ぞくぞく

 からつもん…。なつかしい言葉を思い出した。食器棚の入れ替えをしているときに、ふと。夏に使ったガラスや薄手の器を奥へひっこめて、今度は厚くぽってりしたのや、ススキを描いた皿を奥から出す。棚の前列と後ろの列を、そっくり入れ替えるのだ。衣替えと同じように、器も季節替えをしている。

 からつもんは陶磁器のこと。子供のころ、しばしば耳にした。からつものというひとや、父のようにそっけなく、からつとだけいうのも。からつもんを扱う店はからつや。祖母はちょっとのヒビやカケに気がついて、すぐに新しいものを求めていたから、ご飯茶碗(わん)や湯のみ等をいっしょによく買いにでかけた。

 からつもんは陶器や磁器といっても、よその土地のもの。最初は九州、佐賀の唐津から、日本海を北前船がここ金沢へ運んできたのだろうか。そのあと瀬戸や美濃やあちこちからも入ってきて、それらをひっくるめて、からつもんと呼んだのだろうか。

 ここのものと、よそからのものを、地もの、遠所もの、と金沢のひとはいったりする。八百屋の店先の菜っぱ一把から、人に対しても。九谷焼は磁器なれど、手頃な実用のものとて、からつもんと言わないだろう。

 それにしても、九谷焼の、古九谷の青手と名の付いたものに私はぞくぞくするほど魅力を感じている。『古九谷青手兎渡海図平鉢』と『古九谷青手樹木図平鉢』は特に。これらは全面みっちりと黄や緑で塗りつぶされているのに、すうっとここちよい風が吹きぬけてゆくのがみえるのだ。兎渡海図平鉢は、うさぎのひげをそっと揺らして白波のなかへ。

 今回描いた樹木図平鉢では、根元から天へ、ふたつに分かれる幹の間から、ちらりとのぞく黄の波。そこを指でふさいでみるといい。なんとも息苦しい絵となる。絵とかいたが、これらは鉢のかたちをしているけれども絵画、何か強いメッセージを持った作品なのである。口径四十五センチとかなり大きい。猫もちいちゃくなってしまった。誰が描いたか、男か女か。慣れた絵付職人の筆致じゃない。そして根元をみよ、Mの文字で抜いて、緑がみえる。ここも風の道なのだ。

 「鉢に水を張ったらたのしいな。喜んで水浴びするだろう。あどけない目をしているからまだ若い。ぐんぐん大きくなって、ある日、頭のてっぺんに白いハートをちょこんとのせて、なかからとびだしてくるだろう。頭のハートはみるみる真っ赤に染まって、立ち姿、美しい丹頂(たんちょう)に」ある時、こんな空想にふけったことがある。石川県立美術館の薄暗い展示室、ガラスのむこうにあるのは「色絵鶴かるた文平鉢」。私のこころをつかんだ古九谷、そこにまた。(まえだ・まり=イラストレーター、画家、金沢・東山生まれ)※次回は11月4日に掲載します。

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索