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北陸文化

【満州に残されて 中国の小兵士として生きた男】6 満州国は人生の入り口だった

孝行かなわず 戦後語り継ぐ 

 戦前、旧満州(中国東北部)は、五族協和・王道楽土のスローガンのもと、漢人、満人、蒙古人、朝鮮人、日本人が集められた。日本からは二十年間で百万戸、五百万人の満州への移民計画が立てられた。敗戦までに約二十七万人が移民し、引揚前に現地死亡が約八万人、行方不明が四万人。帰国できたのは半数と言われている。小関昌司さん(84)=石川県白山市=の一家五人と伯父家族五人も移住して、帰国できたのは三人だけだった。

 小関さんは、昭和三十三年七月十三日、「白山丸」で舞鶴に帰国した。満二十五歳だった。郷土の山形県白鷹町役場で帰国歓迎を受け、「何もかも小さく見える浦島太郎が帰ってきました」とあいさつした。日本国は引き揚げ証と年七百円の引揚者国庫国債支給を十年間にわたり約束してくれたが、当時、初めてもらった月給は五千円だった。

 「私の戦後は母国語の日本語を忘れた時間だった。最終学歴は小学校中退だが、中国で育てられた。そのため中国帰国者の身元引受人、自立指導、支援通訳をはじめ、家庭裁判所の調停委員など、八十四年の人生を多くの方に助けていただき、『我以外皆師』として取り組んできた」とほほ笑む。小関さんにとっては、中国は第二の故郷なのだ。

 生きるために異国の軍隊に入り、十数年間の青春を内戦に従事。中国と日本の二国を生きた人生は稀有(けう)だ。「日本にいても父母はもうすでにいない歳だが、もっと親孝行をしたかった。命の儚(はかな)さを考えればつくづく時代の一コマだなと思う。ただ、私にはその一コマが欠け落ちてしまい、孝行ができなかった。それが残念」という。それだけに、自分の『戦後』を、戦争を知らない世代に知ってもらいたくて語っている。

 小関さんにとって、満州は幻の国ではなく、人生の入り口だった。歴史の大波にのみ込まれ、戦争を通して身近に『人の生死』に接し、新しい友人をつくりながら、戦後の軌跡を歩いてきた。=終わり(寄稿、北陸満友会会員、ライター・早瀬徹=石川県能美市)

 

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