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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(27) 故郷の味のこと

「夢香山、秋桜」

写真

コスモス色で丸形の「あれ」

 大阪に暮らす伯母は、金沢に来るとよくふかしを買っていたと、母から聞いた。みやげにしていたそうだ。ふかしは、白身魚のすり身を使った練り物で、見た目ははんぺんに似ているけれど、はんぺんよりも弾力がある。丸い形に淡いピンク色のと白いのを一組にして売っている。伯母のことだから、ひとつふたつ買いじゃなかっただろう。友人へご近所へ、故郷の味を嬉(うれ)しそうに渡す伯母の姿が目に浮かぶ。

 そして、コスモス畑…。子供のころ、金沢の卯辰山、蓮如堂のそばの空き地いっぱいにコスモスが咲いていたのだ。ピンクは濃いの薄いの、そして白の。中に入れば、のっぽのコスモスにも囲まれて、すてきな時間を私は過ごしている。ふかしの優しい色は似た色の、こんな記憶も呼んでくれたよう。

 金沢のひとは、かまぼこをはべんと呼ぶ。はべんはぺらぺらの薄い板に付いたままを半月に切り分けて皿に並べたりする。紅や白のはべんに、白に鮮やかな緑やピンクを彩色したはべんもあったような。渦巻き模様の赤のはべんには、板はなし。切ってそのまま食べてよし、軽く焼いてもうまかった。麺類のトッピングにおでん種に、ちょくちょく顔を出す、おなじみのはべんである。

 東京の我(わ)が家の食卓にのぼるのは、ほとんどが厚い板に付いたかまぼこ。板がこうも厚いと、私ははべんと呼べないのである。これを金沢に暮らすひとはなんと呼ぶのだろう。厚板の上で堂々とした風(ふう)。長さも幅も半分のちいさなものだっていっちょまえに厚板に付いておる。はべんのようには切れないから、まずは板と身の間に包丁の背をあてがい別々にする。すると、あら不思議、さっきと違って、なんだか頼りなげな風となり面白かった。

 いつだったか、父のみやげはほんわかとあたたかかった、包み紙が湯気をたっぷり含んで今にも破れそう。中にはほんのりと焼き色のはべんが十本、いや、もうちょっとあった。母は慣れた手つきで分けはじめた。おいしいものはいつもそう、すぐさまご近所に届けにゆくのだ。

 室生犀星は、金沢の飛竜頭(ひりょうず)が忘れられなくて、東京の住居近くの豆腐屋さんにつくってもらったそうである。遠くにありておもう故郷も、食べ物となるとなんとかして、食べたいのである。れんこん、ごぼうにしいたけ、ぎんなんも中から現れて、飛竜頭はまるで宝石箱みたい。その豆腐屋さんは今も飛竜頭をつくっているらしい。

 今年東京は、花色かすかに残るあじさいと、うなだれたひまわりが混在していた夏だった。コスモスが咲いた頃、訪ねてみようかな。

 父のみやげは美川で買ったと今、思う。私は母が近所にでかけたすきに、かぶりついて一本食べてしまった、こんなことも思い出した。 (まえだ・まり=金沢・東山出身、画家・イラストレーター)

※次回は十月七日に掲載します。

 

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