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北陸文化

【本谷のこだわり学 重伝建の巻】浜崎(山口県萩市)

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現存珍しい御船倉 必見

 萩藩では町奉行が治める城下町以外の領地は、それぞれの地域ごとに宰判(さいはん)と呼ばれる代官によって治められました。浜崎町と浜崎新町は浜崎宰判の管轄で、三見浦(さんみうら)などの七浦と萩沖の羽島などの六島も治めました。

 浜崎は本町筋を中心として町が形成され、江戸時代後期の嘉永四(一八五一)年には三百五十八軒もの家が集まり、廻船や水産などの仕事に関わりました。明治時代以降は入江である舟入(ふないり)が埋め立てられて宅地化が進みましたが、港は存続して浜崎は萩の商業中心地となりました。

 大正十四(一九二五)年に美祢(みね)線(現JR山陰本線)が開通して廻船業が衰退しましたが、夏みかんを海外へ輸出するなどして外貨を稼ぎ、浜崎は大正時代から昭和時代初期にかけて最盛期を迎えました。

国史跡にもなっている旧萩藩の御船倉=山口県萩市で

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 重要伝統的建造物群保存地区は、東西約三百二十メートル、南北約五百三十メートルの範囲にあり、近世から近代にかけての伝統的建造物が百三十五棟も残っています。内訳は、江戸時代四十五棟、明治時代四十棟、大正時代二十五棟となっていますが、江戸時代の建物が四十五棟というのは特筆されます。

 浜崎の一番の見所は御座船(ござせん)を格納する御船倉(おふなぐら)で、ここには代官所も設置され、松本川河口に面して御番所(ごばんしょ)、魚市場、渡し場なども設けられました。御船倉は慶長十三(一六〇八)年に建てられたと推定され、屋根を持つこの種の御船倉が現存するのは全国的にもここだけと言われています。

 また、江戸時代に建てられた山村家住宅は、旧所有者から「重伝建のまちづくりに役立ててもらえるならば」と寄付されたもので、今は「浜崎町並み交流館」として一般公開され、説明パネルや展示品によって浜崎と建物の歴史を分かりやすく学ぶことができます。 (本谷文雄=大衆文化研究家)

◆基本データ◆

所在地 山口県萩市大字浜崎町字浜崎町、大字東浜崎町字菊ケ浜、大字東浜崎町字浜崎浦など

種別 港町

面積 約10・3ヘクタール

選定年 2001年

選定基準 伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの

 

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