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北陸文化

【工芸】沈金に色 表現を拓く 追悼・三谷吾一さん

制作にいそしむ三谷吾一さん=2002年11月30日、石川県輪島市の自宅で

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 輪島塗の重鎮で文化功労者、日本芸術院会員の三谷吾一さんが十二日、九十八歳で亡くなった。卓越した沈金技法で知られた三谷さん。その功績を嶋崎丞(すすむ)石川県立美術館長に聞いた。(聞き手・松岡等)

嶋崎丞・石川県立美術館長に聞く

 新しい県立美術館のコレクションのために一九七六(昭和五十一)年に、それまで収集の少なかった日展系の作家にも声をかけて第一回石川県工芸作家選抜美術展を開いた。日展で活躍していた三谷さんが出品してくれたのが、漆黒にカレイを描いた「双魚飾皿」だった。

 三谷さんと言えばパネルの作品だが、美術館がどんな作品を求めているかを見抜いたように器の作品を出してこられた。沈金の線彫りと点彫りはカレイの肌合いを生き写しにしたような見事さで、この人は何でもできるのだと、感心した。その後もいろいろな場所でこの作品をご自身も紹介しているので、気に入っていたのではないか。その後の仕事の原点になった作品だと思う。

【上】第30回日展出品作「憩(いこう)」(1998年、縦112センチ、横145センチ)【下】「双魚飾皿」(1976年、直径39.3センチ、高さ4.1センチ)

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 これ以降、三谷さんはいろいろな色の粉末を蒔(ま)き、線彫り、点彫りの技法にウエイトを置いて、急激に絵画調の作品で自らの世界を切り拓(ひら)いていった。日展系の作家がアートの方に向かっていったことに私自身は当時、抵抗感もあった。しかし三谷さんはどんどん成長されて賞を取っていった。沈金の技法で絵画に負けない作品を生み出したい、新しい世界をつくりたいという思いで仕事をしたのだろう。それにより工芸の世界に幅の広さ、深さ、スケールの大きさをもたらしたのが三谷さんの功績だ。

 沈金は漆黒と金の二色が基本で、そこに格調の高さがある。しかし三谷さんは金だけには限界を感じたのだろう。あえてそこを突き破って、色を盛り込むことに挑戦し、成功した。下手な人がつくると安っぽくなるが、芸術の高みまでひっぱり上げた。

 よく洋画家の脇田和の作品にインスピレーションを得たと話していた。だが、デザイン構成などは人まねでなく、自分の世界を切り拓く努力で新しい技法を生み出した。作品は非常にモダンで欧州的。絵画調の世界にこだわっていた。パウル・クレーの絵にもひかれており、抽象に近いほど簡略化していくその過程の感性こそが三谷さんらしいモダンさだ。

 入院中も退院後の作品のために材料の用意を指示するほど意欲満々だった。まだ長生きされると思っていただけに残念でならない。

 穏やかに見えて、時に人の言いにくいことも、一刀両断のように発言された。やはり自らの実力に自負があったのだろう。松田権六が日本伝統工芸会を作った後、日展に残ったが、当時からの確執が最後までエネルギーだったのではないか。輪島の地で、沈金技法を全く違う方向へ持って行った大変なリーダーだった。続く人には、その生き様にこそ学んでもらいたい。

 

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