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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(25) 夕涼みのこと 

「七夕飾り」

写真

光に満ちた長い一日

 「清く正しく美しく」と、母は七夕の短冊に書いていた。「清く正しく美しく」ときいて浮かぶのは、宝塚歌劇団。母はファンだったかといえば、母の友人がそうで、誘われて、若い頃よく観(み)にでかけたという。母は歌劇よりも汽車に乗って旅することができて嬉(うれ)しかったらしい。でも宝塚の「清く正しく美しく」の言葉には母の心をうつものがあったようだ。毎年、七夕の短冊に書いて、書きつづけて、家訓のようになっていた。

 色紙を切って吹き流しや天の川の七夕飾りをつくったり、窓いっぱいに朝顔のつるを這(は)わせようと工夫してみたり…。家の床の間には、朝顔に水やりをする男児を描いた軸が、この時期だけ掛かった。朝顔は別名、牽牛(けんぎゅう)花。七夕の日に花が咲くと彦星(ひこぼし)(牽牛星)と織り姫が逢(あ)えたしるしなのだそう。着物に白いエプロンをつけたこの児が弟と重なってみえ、私は「また逢えたね」と織り姫になって嬉しく挨拶(あいさつ)した。夕方には裏口で行水もしたりと、楽しいことがいっぱいあった。盥(たらい)に湯を張った行水はさっぱりして気持ちよかったけれど、まあまあの人の往来に戸を開け、ちょいとすだれを下げてでは、子供だけならまだしも、大胆なことだった。

 行水のあと、しばしば祖母は私や弟を涼みに連れ出した。水打ちした中庭から風がそよそよと入っているのに、暑がりの祖母はさらに涼を求めていたのだろうか。

 突き当たりの菓子屋の横道から観音町に出て、旅館の前を過ぎると、少しして静かな一角となる。どの家も塀に囲まれ、門がある。昼も夜でも私はここに来るときまって、耳をそばだてた、鼻も利かせた。煮炊きする匂いがしないだろうか、ガラッと門戸から誰か現れないかと期待して。人の気配はじゅうぶんに感じる。結局、ゴホンと咳(せき)払いのひとつすら洩(も)れてこず、期待ははずれてばかりだった。

 料亭のさきから河原に下りていくと、対岸の映画館がぐわっと昼間より大きく迫ってみえた。並びの寿司(すし)屋やあちこちに灯(とも)る明かりにひきつけられて、向こうへも行きたくなる。今ならすぐに叶(かな)うことも、昭和二十八年の豪雨で梅ノ橋は流されて、私が十五歳になる頃まで、天神橋と浅野川大橋の間に、橋はなかったのである。

 カランコロンとおじいさんの下駄(げた)の音が澄んで響いていた。私や弟と同じ甚平の子供と会えた。横を通るとさっと離れて、振り返るとまたくっついていた恋人たちは面白かった。なんと一日が長かったことか。おひさまの光も、星や月の光も、夜の街の明かりも浴びて、雨や雪の季節のぶんまで浴びて。

 祖母が連れ出してくれたおかげか、いや、祖母が皆が夕涼みと称して街をぶらついていたかったのである。

 (まえだ・まり=イラストレーター、画家、金沢・東山生まれ)※次回は8月5日に掲載します。

 

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