トップ > 北陸中日新聞から > 北陸文化 > 記事一覧 > 6月の記事一覧 > 記事

ここから本文

北陸文化

【鷲田めるろのベネチア便り】7 羽織袴で 「日本」に向き合ってみる

日本館のオープニングで羽織袴姿であいさつする筆者=木奥惠三撮影、国際交流基金提供

写真

 日本館のオープニング・レセプションで何を着るか。単なる装いの問題ではなく、ベネチアでの展示をどう位置づけるかが問われているように感じ、前日まで迷っていた。六年前にお茶を習い始めて以来、普段の仕事ではネクタイを必要としないこともあり、明らかにスーツよりも着物の方が着慣れている。羽織袴(はかま)姿なら、東洋人の顔の識別に慣れていない人波の中でも、あの人がキュレーターだと認識してもらえるだろう。だが、日本のイメージが強く出過ぎるかもしれない。

 世界の数多(あまた)の国際展のうち、万国博覧会のような国別参加方式を取っているものは少なく、ベネチアは例外的だ。そのベネチアでも、各国館の競争が過熱し、政治性が濃くなることへの反発から、一九七〇年代に授賞制度が廃止された時期もあった。日本においても、グローバル化が進み、日本の中の多様性への意識も高まることで、コスモポリタンな指向もかつてより強くなった。しかし、今回は、「日本館」というナショナリティを標榜(ひょうぼう)した場で展示する珍しい機会である故に、あえて「日本」ということに向き合ってみたいと思った。

 もちろん、「日本」という本質的な固有性があるとは思っていない。あるのは、今まで「日本的」と語られ続けてきた言説の積み重ねである。たとえば、色一つとっても、モノクロームだと「水墨画」や「禅」と結びつくし、カラフルだと「ポストモダン」「秋葉原」、そして「やまと絵」と結びつく。そういった言説の布置のなかで、どのような位置取りをするか。「日本館」である以上、コスモポリタンへの指向もまた、「日本的」なものから距離をとるという位置取りでしかない。日本館をキュレーションするうえで、最も難しく、しかし、面白かったのはこの点だった。

 今回展示した衣類やタオルを使った作品のなかに、アニメのキャラクターをプリントしたタオルがある。それを西洋の現代的なオリエンタリズムへの迎合と見ることもできるだろう。しかし、作家の岩崎貴宏がキャラクターのタオルを入れることを思いついたのは、ベネチアに干されたタオルに日本のキャラクターを見つけたからだった。日本の内外の境界はすでに曖昧である。

 ベネチアで「日本」について考えた経験は大きかった。今後、日本の作家の展覧会を企画するとき、たとえそれが地元金沢で開催する展覧会だとしても、「日本」に関する言説の中での位置を、より強く意識することになるだろう。結局、オープニングでは着物を着た。それがよかったかどうかは、今も分からない。最高のパビリオンに与えられる「金獅子賞」を取ったドイツ館のアーティストは、授賞式で革ジャンを着ていた。ドイツらしいと思った。 (わしだ・めるろ=第57回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館キュレーター、金沢21世紀美術館キュレーター)=終わり

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索