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北陸文化

【本谷のこだわり学 重伝建の巻】 津和野(島根県津和野町)

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城下町の敷地割残る

 島根県西部に位置する津和野は、山陰の小京都とも言われる人気の観光地です。四月に山口市内から国道九号線経由で津和野に入りました。あいにく小雨の天気でしたが、観光客も少なく隅々まで取材することができました。

 さて、津和野は元和三(一六一七)年に亀井政矩(まさのり)がこの地に入って以降、明治維新まで亀田氏がこの地を治め、城下町としてにぎわいました。津和野藩は山が多く米の生産量が少ないので産業の発展に力を入れ、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)から和紙を生産し、米の代わりに和紙で年貢を納めることも許しました。さらに鉄や蝋(ろう)も生産し、それらを高津川や津和野川を利用して大阪などに運びました。

 廃藩置県により、明治七(一八七四)年に津和野城は解体され、藩校養老館の跡地に鹿足(かのあし)郡役所が置かれ、大正十一(一九二二)年には待望の山口線が開通して交通網も整い、津和野は商業地として栄えました。

 津和野の重伝建選定は二〇一三年と最近のことで、稲成神社の参道入り口には「祝 重要伝統的建造物群保存地区選定」と書かれた横断幕が残っていました。選定地区は津和野川と高岡通りに挟まれた東西約一六〇メートル、南北約七〇〇メートルの範囲で、上級家臣の居住地であった武家町と商家町からなり、江戸時代には武家町と商家町の境界に惣門が設置されていました。

商家が並ぶ本町通り=島根県津和野町で

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 旧町人地の本町通り、万町通り、新丁通りに面して町家が並び、本町一丁目には大型の商家、本町二丁目には明治時代の造り酒屋や大正から昭和時代の長屋造りの建物などが並びます。主屋は切妻造(きりづまづくり)、桟瓦葺(さんかわらぶき)の平入(ひらいり)が多く、明治中期までは厨子(つし)二階(二階部分の低い中二階)、大正から昭和初期は総二階の建物が目立ちます。

 選定地区の南側は旧武家地で上級家臣が住んでいましたが、嘉永六(一八五三)年の大火以降は藩校養老館、明治七(一八七四)年には養老館跡地に鹿足(かのあし)郡役所(現津和野町庁舎)が置かれました。

 津和野は藩校養老館で学んだ作家の森鴎外や啓蒙(けいもう)思想家の西周の出身地として有名ですが、新丁通りには脳外科医の中田瑞穂と日本地質学の父と呼ばれる小藤文次郎の生誕地碑があり、津和野の文化の深さを改めて知りました。

 前述した大火により、江戸時代の建物の多くを焼失しましたが、選定地区には津和野藩時代の街路区画や敷地割が今も残り、各通り沿いに流れる水路や石畳とともに城下町らしい風情を伝えています。

 最後に、「その町の文化レベルを知るには、料理屋、和菓子屋、道具屋を見ればよい」と聞いたことがありますが、津和野で骨董(こっとう)商を営む店主は「かつて八軒あった骨董商も私の店だけになってしまった」と少し寂しそうでしたが、私が石川県から来たことを告げると、奥さんが能登出身ということもあって饒舌(じょうぜつ)になりました。

 (本谷文雄=大衆文化研究家)

◆基本データ◆

所在地 島根県鹿足郡津和野町 後田新町、田町、山根丁、新丁、本町など

種別  武家町・商家町

面積  約11・1ヘクタール

選定年 2013年

選定基準 伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの

 

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