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北陸文化

【本谷のこだわり学 重伝建の巻】 古市・金屋(山口県柳井市)

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柳井縞の名声語る「金魚」

 柳井市の古市・金屋地区は山口県の南東部に位置します。昨年夏、高校時代の友人とこの地を訪れました。JR柳井駅から麗都路(レトロ)通りを北東に進み、柳井川に架かる本橋(もとばし)を渡って左方に目指す重伝建地区がありました。

 東西方向に約二百メートル続く本町通り(通称白壁通り)の両側に、江戸時代後期から大正時代の商家が並び、地元では「白壁の町並み」として親しまれています。本町通りの中心から南に向かう掛屋小路は、この道筋で掛屋という金融業を営んだ商家の屋号から名付けたもので、往時には柳井川に架かる緑橋の石段から荷揚げされた商品を運んだ道でもあります。

往事の豪商の暮らしぶりを伝える国森家住宅

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 本町通りを歩くと、妻入で二階建ての家が、「間口が狭くて奥行きが深い」うなぎの寝床と形容される細長い宅地上に建ち、その地割は室町時代から変わっていません。また、本瓦葺(ふ)きで漆喰(しっくい)壁の建物が目立ちますが、その理由は江戸時代中期に四度もの大火に遭ったことによる火災対策です。

 私は外観しか見ていませんが、一番の見どころは往時の暮らしぶりを伝える国森家で、豪商の典型的な家屋として重要文化財に指定されています。建物は明和五(一七六八)年の火災以後に建てられたと伝えられ、土蔵造りや土戸に火災対策を見ることができます。

 さて、近世の柳井津は岩国領(岩国藩が正式に認められたのは大政奉還後で、別名吉川(きっかわ)藩とも呼ばれる)に属し、寛文三(一六六三)年から柳井川と姫田川の堆積した土砂を使って海岸の埋め立てと新田開発が行われました。現在の柳井川は旧市街地と江戸時代の埋め立て地の間を東西方向流れていますが、旧市街地はかつて瀬戸内海に面しており、古市・金屋地区は柳井津の中で最も早く開かれた旧町の西半分にあたります。

本町通りの両側には白壁の商家が並ぶ=いずれも山口県柳井市で

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 江戸時代前期に描かれた地図には、前述した両川に挟まれた地に柳井の町が描かれ、この時期に古市や金屋には周辺各地から多くの商人が集まり、商業の中心地として栄えたことが分かります。柳井は「岩国藩の御納戸(おなんど)」と呼ばれるほどの繁栄を極め、荷物を満載した大八車の往来やたくさんの人でにぎわいました。

 瀬戸内海に面するこの地は、舟運が盛んで九州から大阪をその商圏としました。柳井の商人は、大阪で繰綿(くりわた)(綿繰り車にかけて、種の部分を取り去っただけの、まだ精製していない綿)を仕入れ、地元の農村で織らせた木綿織物を販売しましたが、岩国藩ではこの織物を検印して品質保証をしたので柳井木綿として名声が高まりました。

 町の至る所に金魚がぶら下がっていて、「なぜ、金魚なのか」との疑問を抱きながら歩いていましたが、文房具商「木阪賞文堂」のご主人に尋ねると、「下がっているのは金魚ちょうちんと言って、幕末の頃に青森県のねぶたにヒントを得て、伝統織物である柳井縞(しま)の染料を用いて作ったもの。古くは各家で作って子供に与えていた」と回答があり、胸のつかえが取れました。(本谷文雄=大衆文化研究家)

 ◆基本データ◆

 所在地 山口県柳井市古市町、金屋町の各一部

 種別  商家町

 面積  約1.7ヘクタール

 選定年 1984(昭和59)年

 選定基準 伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの。

 

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